膨らまない話。

Tyurico's blog

中国の経済発展ってよく考えてみれば全くとんでもないことで、

ここまでに至ってしまうと、一党独裁で人権とか思想とか言論とかは制限されたり弾圧されたりでそういう自由は無いんだけどまあとにかく経済が発展して生活が豊かになってるんだからそれでも構わない、そう考える国民が多数になったとしても不思議ではないと思う。
 
少し前まで、民主主義ではない国で経済が上手く行くなんてことはおよそ考えられなかった。だが事実として、民主主義でないのに経済を飛躍的にそして圧倒的に発展させた国が出てきてしまった。

それで中国の発展が今後も持続するようであれば、「うちもアレでいいんじゃないの」と考える他の国だって出て来かねないと思う。
 
それにしても国際的なルールに従おうともしない国が強大な軍事力と経済力を有しているというのはもはや災厄と言う他はない。
 
 

これ、デストピア小説だとばかり思っていたがどうも違うんだな。
 

レゲエとかの古い音源が聴きたい人は You Tube のこのチャンネルがおすすめ、だったがその後削除されてしまった。残念。

この人のアップロードの数はすごい。数百、いや千以上?
https://www.youtube.com/user/marmalade166/videoswww.youtube.com


こんな感じでずっとリストが続いて、一番下までスクロールするのにだいぶ時間がかかった。ざっと見た限り、他のジャンルのレコードもたまに入るが、ほとんどがスカ、ロックステディ、レゲエの古いレコードだと思われる。
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数がとにかく多いので、もし目当てがあるなら検索機能を利用した方がいいです。
ランダム再生でずっと聴いてられるな。
 
動画の総数は2,500以上あった。
 
もう紹介はしないけど、同じように古いアナログ音源を大量にアップしてる人は他にもいる。
このようにアナログ盤の盤面が動画アップロードのリストにずらっと並んでいたら大体そういう人。
 
 

一番初めのレゲエの曲って何なんだろう ②

tyurico.hatenablog.com


「一番初めのレゲエの曲って何なんだろう」っていう素朴な疑問。

この疑問に対して、以前買った100曲入りコンピレーションに何かあるかもしれないと思って聴き直してみたら、21番目の曲が歌唱やタイトルはロックステディみたいなんだけどリズムは「あ、これレゲエなんじゃないの」って感じで、それで解説を読んでみたら1968年のこの曲でロックステディからレゲエに移行したみたいなことが書いてあった。何のことはない、すぐ手元に情報があった。*1

↑ 1959年から2009年まで、ジャマイカ50年間の100曲を4枚のCDに収録している。
 
 
The Beltones の No More Heartaches と言う曲がそれ。日本語で表記すればベルトーンズだろうな。*2 この曲いいな。

The Beltones No more heartaches
 

それから久しぶりにウィキペディアReggae の項目を調べてみると、これと並んで Nanny Goat という曲も有力候補らしいとわかった。*3 それで次にその Nanny Goat という曲を探してみた。ほんと恐ろしいほど便利な時代。すぐ見つかる。



Larry Marshall & Alvin Perkins - Nanny Goat
それから動画のコメント欄を読むと、そうじゃないレスター・スターリングの Bangarang が最初だ、いやリー・ペリーの People Funny Boy だとかそれぞれの意見が書かれていたのでそれらも探してみた。



Lester Sterling & Stranger Cole - Bangarang
レスター・スターリングってスカタライツの人か。ストレンジャー・コールの名前もスカタライツのアルバムで見たことがある。



Lee (King) Perry - People Funny Boy (1968) Doctor Bird 1146 A
この曲は私が持ってるリー・ペリーのCDに入っている曲だったが年代は見てなかった。これも1968年みたい。



調べてわかったことは、どの曲も1968年の発売のようで、その中でどれが一番早いのかということまでは結局わからない。まあ厳密にどの曲が最初のレゲエかというシビアな議論は私にはどうでもいいことで、最初のレゲエだろうと言われてる曲がだいたいわかったのでそれで充分。
4曲の中では最初に挙げた The Beltones の曲が一番好きだ。


もう一曲。Monty Morris の Say What You're Saying

Monty Morris - Say What You're Saying
これもたぶん1968年で、やはりレゲエ的な感じだが、この動画のアルバムだとロックステディの扱いになっている。


さらにもう一曲。1968年、メイタルズの代表的なナンバーの古いバージョンのやつで、これはまだロックステディのリズムのように思える。

Toots & The Maytals - 54-46 That's My Number (Lyric Video)


これは後年の別バージョン。

54-46 Was My Number


メイタルズといったらこれも挙げないわけにはいかない。やはり1968年。

The Maytals-Do The Reggay
綴りは Reggay だけど、「レゲエ」って言葉が最初に使われた曲だと言われている。だから Reggae というジャンルとかそういう認識はまだこの時はなかったのだと言えるかもしれない。


しかし考えてみれば、デズモンド・デッカーの Israelites、邦題「イスラエルちゃん」も1968年のレゲエ曲だ。どうもレゲエの生まれた年は1968年だと見てよさそうだ。

Desmond Dekker & The Aces - "Israelites" (Official Audio)

イスラエルちゃん」なんておかしな邦題のせいで日本では珍曲扱いされている感があるが、この曲はイギリスとアメリカでヒットした曲だし、デズモンド・デッカーは当時イギリスではすごい人気だったらしい。*4
Desmond Dekker | Reggae | The Guardian



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最初のレゲエ - Google 検索
 

*1:When the musicians who gathered at Studio One 1968 to record the very first production by fomer Virtues bass player Harry "Harry J" Johnson, they never expected to be the people who essentially composed what may very well be considered the very first recording of the trademark Jamaican genre of music that would become its grand corner stone for time to come. The rocksteady sound was changing - and with the recording of No More Heartaches (as well as the B-side - another hit called I'll Follow You). The sound of Jamaica music would be changed and reggae was officially born.

*2:調べてみたのだが The Beltones の詳しいことはわからないし、まとまったアルバムも見つからない。

*3:Larry And Alvin’s ‘Nanny Goat’ and the Beltones’ ‘No More Heartaches’ competed for the status of first reggae record.

*4:1969年、UKチャートで1位になった。日本で発売されたのも当然英米でのヒットがあったからだろう。

一番初めのレゲエの曲って何なんだろう ①

レゲエって遠い昔にどこからとも知れず生まれた素性のはっきりしない音楽とかじゃなくて割と新しい音楽でルーツはわかってて、具体的に言うと1962年のジャマイカ独立後にスカが生まれ、次にロックステディが生まれて、それからレゲエというごく短期間での変遷があるのだが、
では最初のレゲエ、一番古いレゲエって何なんだろうと思って調べてみてもそういうことを書いているものがなかなか見つからない。
 
大筋で意見が一致するような、「現在知られている限りこの辺が一番古いレゲエの曲」っていうのは何になるんだろうか。
 
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歌手とファンとの幸福な出会い オーティス・クレイ 東京ライブ

1978年、たぶん本国アメリカでも好調というわけではなかったのだろうし、ましてや遠く離れたアジアの島国で自分の歌が聴かれているとは夢にも思ってもいなかっただろう。だいたい来日することになったのも偶然の成り行きで、日本のソウルミュージックファンが待ち望んでいたO.V.ライトの代役が急遽回って来たからに過ぎなかった。
 
しかし熱心な日本のソウルミュージックファンはもちろんオーティスのことも知っていた。
ライブは大いに盛り上がって、アルバムを聴いているとオーティスは思いもよらぬ歓迎に少し戸惑いながら、涙ぐんでるんじゃないかと思われるほど感激しているのが伝わってくる。
 
1978年のライブのアルバム。2枚組。まさに熱唱の顔。
オーティスは本当に感激していて、「こんな素敵な人たちに今まで出会ったことがない。君たちは最高だ、君たちは最高だ。」と最大級の謝辞をステージで語っている。*1

このCDの体裁はアナログ盤をそのまま縮小した感じなので、中に入っている解説とかもすごく小さな文字になってしまっている。それでも文字は潰れていなくて拡大すればどうにか読めるし、歌詞から語りから全て文字に起こされていて有難い。



4度めの来日、1983年のライブのアルバム。
ライナーノーツの文章によると来日する2か月前にオーティスは交通事故に遭っていて、おそらく拭いきれない不安を抱えてのライブだったのではないか。
このCDも歌詞が載っているだけでなく、オーティスの語りの部分にMC担当のセリフまで載っている。ライブ中の聞き取りにくいしゃべりまで文字にしてるんだから、普通だったらしないような面倒な仕事をしてくれてる。誰が読むのかってところまで全てそのまま文字にしてるんだから、考えてみるとすごいことだ。

オーティス・クレイ/ライブ・イン・トーキョー

アンコールでサザンオールスターズ の「いとしのエリー」をカバーして歌っているのだが、10分以上ある曲の後半あたりはファンへ向けたオーティスの語りになっていてこれがすごく熱い。そして最後は「アリガトー! アリガトー!」。
いとしのエリー」は1979年に発表されて現在では様々なカバーバージョンがあって、レイ・チャールズが日本のテレビCMで歌ったこともあるが、あれはたぶん制作側からの依頼であるのに対してオーティスのカバーはこのライブのために準備したもので、今風に言えば彼のサプライズなのだろう。
安い値段だったから買ったようなものだが、これは買って良かった。




Soul Man: Live in Japan
これは同ライブの海外盤アルバム。海外向けなので選曲が上とは少し違っていて、「いとしのエリー」と他1曲の代わりに別の2曲が収録されている。
下のアルバムの内容から考えると、アンコールの2曲がカットされてるようだ。




LIVE AGAIN
これが1983年のライブの2枚組完全盤で欲しいのだが、レアらしく値段が高くてちょっと買えない。



以下の記事を参考にさせていただきました。
★オーティス・クレイ9月に来日 | 吉岡正晴のソウル・サーチン
 
Otis Clay Interview ブルースマーケット誌1999年10月号
すっごくいいインタビュー記事。オーティスファンの人はぜひ読んで。
以下抜粋。

「日本はね、これはいま私が日本にいるから言うんじゃないんだよ、事実だから言うんだけれど、日本が私の人生をひっくり返してくれたんだ。ここでの出来事が、私の世界の他の地域全部をひっくり返してくれたんだよ。
 私のライブアルバムは、今でも、まるで昨日録音したもののように売れ続けているよ。きっと、これは日本の人たちの精神性の高さのおかげだと思うんだ。ここでのコンサートでは、精神的、霊的な高まりがとても強いんだよ。だから、こういうことが起こるんだと思う。世界中の人たち(ミュージシャン?)が言うんだ、日本に行ったら、きっと特別なことが起こるよって。これは事実だよ。私の人生は、日本に来ることですっかりかわってしまったんだ。」

 
 
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*1:deisc 1、5曲目の Precious Precious の最後の方、7:20あたり。 I've never met so many beautiful people. You'er wonderful. You'er wonderful.