膨らまない話。

Tyurico's blog

素人が良い煮干しを選ぶには

煮干しや鰹節を商う乾物屋さんのサイトなんかを見ると、良い煮干しの選び方なんてのがよく書かれているのだが、あれは買い付けする問屋さんの見方であって素人にはあまり役に立たないと思う。
というのも、素人にもわかるほど見た目の良くない品が売り場に並ぶことはまずないし、では微妙な見た目の良し悪しとなったらもう素人には判断し難いからだ。
 
結局素人が良い煮干しを得るには、とにかく一度買って使ってみるというのが一番確実で実は手っ取り早い。
売り場にはたいてい何種類か並んでいるから、その中で比べているうちに良し悪しの見当はついてくる。あとは気に入った品を続けて買えばいい。

やはり良し悪しはちゃんとあって、良い品は雑味は少なくて出汁がよく出るし、鮮度が良いと内臓が崩れていないのできれいに取り除けて扱いが簡単だ。この辺の違いは実際に使ってみないとなかなか素人にはわからない。
 
別に一度きりの高い買い物をするわけじゃないんだし、買ってためしてみるのが一番。
 

ピカソの「ゲルニカ」ってなぜああいう描き方なのかという違和感とか困惑について

 
以下の文章は、なぜ私は「ゲルニカ」に何も感じることがないのかという違和感を明らかにする目的で時間をおいて少しずつ書き綴っていったためグダグダしてますが、言ってることは結局この三つです。
① あらためて考えてみても結局私はピカソの「ゲルニカ」に感じるものがない
②「ゲルニカ」にはゲルニカの惨状は描かれていない
③「ゲルニカ」はもはや有無を言わさぬ権威のようなもので感性への暴力みたいに感じられて嫌だ

 

ピカソの「ゲルニカ」という絵はなんでああいう抽象的というのか非写実の描き方なんだろう、というのが長らく引っ掛かっている。

まあそれは、まずあの時のピカソのスタイルだからなんだろうし、だいたい自分の眼で爆撃の惨状を見たわけではないから、それをあたかも見てきたかのように写実的に描くことはやろうとしてもそもそも出来ないということもある。
 
正しく言えば「ゲルニカ」は抽象絵画というものではない。
しかしこの絵は「具体性や固有性を取り去った後に現れてくるもの」という意味において抽象であると言える。

この「ゲルニカ」という絵には具体的、個別的なものは何一つ描かれていない。
あの時ゲルニカというスペインの一地方にごく普通に暮らしていた人たち、無差別爆撃によって理不尽に命を奪われたそれぞれの顔だちと名前を持った個々の具体的な人々は最初から捨象されているのであり、この絵にある具体的なものはただタイトルの「ゲルニカ」という固有名詞だけだ。そしてその絵の中には「ゲルニカ」を示すものは何一つとして描かれていない。
いや、ここに描かれているのは抽象ですらなくむしろ概念に近いと言った方がいいのではないか。「戦争の暴力によって踏みにじられる命」というような。 

「個人の固有性と具体性が剥ぎ取られるのが戦争という暴力なのであってだからこそピカソはこのような表現を~」、というような考え方も可能だとは思うが、だとしたらそれはもう絵というより理念や理屈に類するものだ。
理念や理屈は芸術ではない。

私がピカソの「ゲルニカ」に困惑しか感じることがないのはこういうことかと思う。
 
でもまあそもそもの話、どんな世評の高い芸術作品だろうと強いて感動したり努めて神妙な気持ちになったりしてたらそれこそ不健全というものでそんな必要なんか少しもないんだし。

それにしても、まっさらな気持ちで見ることはもう誰もできないような絵というのも考えてみれば厄介な存在だ。*1
もしこの絵を修学旅行で見て感想文を書くように言われたらって考えてみたら嫌な気持ちになった。もう「強く心を打たれた」とか言わないといけない作品になっちゃってるわけだから。
もはや「感動」を無言で強いるある意味「踏み絵」のような作品というか、「戦争反対」とか「人道性」っていうのが別注文できないセットメニューになってるというか。
なんか不純なんだよな。意味過剰で。
 
思うに、あの絵が持つ力というものは無差別爆撃の非道を知ったピカソの怒り、フランコの反乱軍とナチスドイツに対する怒りによるのであって、ゲルニカの惨状の描写によるのではない。
あの絵にはゲルニカの惨状というものは何一つとして描かれていない。そこは間違いない。
それで私は困惑するのだと思う。この絵はいったい何を描いてるのかと。
 
ただ実物本物を目にしたら考えが変わるということもあるかもしれないけど、なにせ見たいと思ったことがないのだからこれはもう仕方がない。

 

 
 
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*1:ゲルニカ」=「反戦」、「ゲルニカ」=「反ファシズム」みたいな図式が出来上がってるからまずそれでこの絵に感動できないとか言うのには勇気がいる。それから「はいはい敢えてそういう少数派の感性を気取りたいんでしょ」みたいな冷笑もある。だけど「人類みなこの絵で感動しなければならない」ってのはそれがもう暴力ではないのかな。有無を言わさず感動を強いる一種の暴力。でもそんな一律のアートとか鑑賞体験ってそれこそ不健全でしょ。この絵に別に感じるものがなくたっていいはず。また鑑賞力や感性の低さでもないと思うよ。この注をここまで書いてああそうかと思ったけど、逆にこの絵画が感性への権威や暴力に近いものになってしまってる状態は何なのっていう違和感だ。そういうことだ。

ソウルシンガー、オーティス・クレイのCDレビューみたいなもの。

CDの棚を整理してみたらいつの間にかオーティスさんのCDを結構たくさん集めていることに気づいて、レビューというか案内をまとめておこうと思った。(たぶんオーティス・クレイは絶対良い人で、私はオーティスさんと呼びたいのだ。「たぶん絶対」ってのも変だが。)
今後適宜書き足しなどあり。

 
まず定番のハイ・レコードのアルバム2枚。
この2枚は何度も発売されているので発売年がいろいろ。最新のはこれなんだが、古いのしか持ってないので申し訳ないがリマスターの音がどうなのか紹介できない。


 


That's How It Is
これは特に期待もせず安かったから買ったのだが、なかなか良かった。
1991年。ハイ・レコードから出た上記のアルバム2枚+3曲の21曲。収録曲は元のアルバムと同じだがなぜか曲順が違う。それに合計21曲だと1曲足りないじゃないかと最初不審に思ったが、もともとの2枚が1曲ダブっていたのを外したわけでこれで問題なかった。
細かな文字の英文解説が四面もあって、安易に2枚をまとめただけのCDではないことがわかる。続けて2枚分聴けるのでオリジナルよりこっちを聴くことが多い。これ割とおすすめ。

追加の3曲は、 I Didn't Know The Meaning Of Pain、Brand New Thing、Let Me Be The One。
 

Otis Clay - Brand New Thing
 

Otis Clay- Let me be the one.

 

The 45s
1993年。ハイ・レコードのコンピレーション。14曲収録。
上記の3枚に入ってないのが5曲。If I Could Reach Out、The Woman Don't Live Here No More、You Can't Escape The Hands Of Love、You Did Something To Me、It Was Jealousy。 
 

Otis Clay - You can't escape the hands of love




Otis Clay - If I Could Reach Out (And Help Somebody) - Hi



ガット・トゥ・ファインド・ア
これは初期、ワン・ダーフル・レコード時代の曲を集めた一枚。1990年発売、19曲収録。日本の P-VINE から出た。
文字がすごく小さいのは参るが、歌詞が載っているのもいい。やはり P-VINE の仕事は立派だ。


言わずもがなの感のある、名高い1978年のライブ盤。もちろんいいです。2枚組み。

 
1983年の東京ライブ盤。
オーティスさんはほんとライブでより輝くタイプのシンガーだと思う。
海外盤と国内盤の2種類。どちらも8曲収録だが、2曲が異なっている。これの2枚組完全版は高い値が付いていて買えていないが、この2枚で一応全曲揃った。

Soul Man: Live in Japan


A Nickel And A Nail (Live / 1983)



オーティス・クレイ/ライブ・イン・トーキョー
これは日本で出たやつで、「いとしのエリー」が入っている。


Otis Clay - Ellie My Love



ゴスペル・イン・マイ・ソウル
これはゴスペルを歌ったもの。
教会のゴスペルで歌の上手な子が頭角を現しやがて長じてソウルシンガーになるというケースは多い。オーティスさんもその一人だ。神のためのゴスペルから離れて男女の色恋の世俗の音楽を歌っていても常にその根底にはゴスペルが流れていたということなのだろう。
これも P-VINE からの発売。P-VINE、素晴らしい。
 
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福田ますみ『モンスターマザー』を読んだ。

2005年、長野県の丸子実業高校の一年生男子バレー部員が自殺した。母親は、バレー部でのいじめが原因でバレー部と学校はそれを隠蔽しているとして追及し、人権派として知られる弁護士は驚くべきことに校長を殺人罪で告訴までする。マスコミは母親の言葉を伝え、学校とバレー部は批判と中傷にさらされていく。
しかしそれは事実無根の話で、実は彼は家庭でネグレクトの状態にあり、彼が自殺に至った原因はむしろ母親の異常さにこそあったということが裁判を通じて逆に明らかにされていく。
 
モンスターマザー「さおり」の身近な人間が語った印象深い言葉を引用しておこう。
 

この時、佐久警察署の署員は、知らせを受けて病院に駆けつけたさおりの実兄が「お前が殺したようなものだ」と言って、さおりの頬を叩いたの目撃している。

 

実兄は、さおりが大暴れして自ら110番通報した際、佐久警察署に呼び出されたことがある。その時、署員たちの前でこう言い放ち、大いに驚かれた。
「妹が死ぬ死ぬ言うなら死んでもらえばいい。身内にしてみたらそれが一番助かる。」

実の兄からここまで言われる人間。
 

祖母は、「(さおりを)病院に連れて行かなくてもいい、自殺などしませんよ。かっとなる性格で、時間がたてば落ち着きます」という。

さおりは些細なことで激昂しては「死ぬ」と叫んで暴れる。でもいつも言うだけで実際に試みたことは一度もない。
 

裕太君の自殺とさおりの錯乱状態が続くなかで、一番心配されたのが次男のまなぶ君への影響だったが、それについても祖母はこう言った。
「(さおりは)裕太に対するのと違って、まなぶには何もしないから大丈夫です」

長男だけがネグレクトされていたらしい。
 

 しかし京子が一番心を痛めたのは、裕太君が所属していた小学生バレーチームの関係者からのこんな証言である。
「裕太君は小学生の頃、食事や入浴を満足にさせてもらえず、ネグレクト(養育放棄)状態だった。見かねて、同じチームメイトの保護者がおにぎりを作って裕太君に持って行ったり、自宅に連れて来てお風呂に入れてあげたりした。さおりから『邪魔なんだよ』と蹴られたり突き飛ばされたりするところをよく見た。」

「京子」は、丸子実業バレー部監督の妻。
 
最後に離婚した夫の法廷での証言。

代理人「さおりさんの暴力の様態、どんな暴力を振るってきましたか」
小島「まず、物を投げつける、あと木製のハンガーとか、あとスチール棚の金属製の足組みするパイプとか、あとコップを投げつけたりとか、皿とかコップなんですけど、あとは靴を履いたまま足でけっ飛ばしてくるとか」
代理人「ハンガーだとかスチール製のパイプというのは、どういうふうに暴行に使うんですか」
小島「手に持って殴りかかってくるわけです」

さおりは小島から約600万円の損害賠償訴訟を起こされ敗訴している。しかし一銭も支払っていない。(小島は2番目の夫で、子供はさおりの連れ子。)
もうお腹いっぱい。
 

しかしまたもう一つ書き残しておかなければならないと思うのが、このとき殺人罪での告訴に踏み切った「人権派」で知られる弁護士と、追及の旗振り役を務めたやはり「人権派」の著名ジャーナリストのことだ。
弁護士は高見澤昭治
2004年にイラクで日本人市民活動家が人質に取られた事件の際、被害者家族の代理人として活動したのが高見澤昭治だった。
ジャーナリストは鎌田慧
自動車絶望工場』などで知られる鎌田慧は『週刊金曜日』に学校を追及する記事を書いた。鎌田は高見澤と旧知の間柄だという。

残念なことに、先入観と予断に支配されて事実を疎かにするという、その職業上の適性を疑われるような欠点において両者は共通していた。
高見澤は後に、丸子実業高校校長から逆に損害賠償請求訴訟を起こされて敗訴。また丸子実業バレー部関係者が東京弁護士会に申し立てていた懲戒請求が認められ、高見澤には戒告処分が下されたという。
鎌田には著者の福田が2度手紙を書いて取材を申し込んだのだが何の返事も無かったそうだ。
高見澤も鎌田も、何の釈明も謝罪もない。
 
損害賠償請求の法廷で、高見澤が、「さおり」が信頼できる人物だとどうして判断されたのかと問われての笑うしかないくだり。

「こう言っちゃなんですけども、それは初対面でわかる人もいればわからない人もいますが、2度、3度会っていくうちに、ああ、この人は本当のことを言っているなと、この証拠というか、こういうものに照らせばさおりさんの言うことは間違いないなと、こういうふうに判断していきました。非常に記憶力がいいというか、正確に話しする人ですし、そういう意味では私は信頼して事件を受けることにしました。」
 
法廷に失笑が漏れた。

 
「法廷に失笑が漏れた。」
高見澤という弁護士に人を見る目が無いということはよくわかる。

両人の他の仕事はどうだか知らないが、高見澤と鎌田がこの事件において「人権派」として行った「正義」をよく覚えておこうと思った。
自分の「正義」に疑いのない人間は自分の「暴力」に無自覚な人間だ。
 

この本はこちらのブログで興味を持って読んでみた。
koritsumuen.hatenablog.com
 

これはレゲエなのかロックステディなのか

レゲエのカテゴリーなんか立てて記事を書いてはいるけれど音楽もレゲエも別に詳しいわけではなくて、曲を聴いていてこれはレゲエなのかどうなのかと迷うことも少なくない。楽器やってたらわかるのかな。

1970年、トゥーツ&ザ・メイタルズの代表曲の一つ、54-46 was my number 。これはレゲエだと思う。

54-46 Was My Number


だけどこの曲にはあまり知られてない1968年の最初のバージョンがあって、これをレゲエとして紹介してる記事なんかもあったりするのだが、久しぶりに聴き直してみたらいやこれはロックステディなのかと思った。
1968年はちょうどロックステディとレゲエが入れ替わる年というか共存していた年というか。


Toots & The Maytals - 54-46 That's My Number (Lyric Video)
 

これも同じく Toots & The Maytals で、これも好きな曲なんだけどよくわからないんだよな。でもこれは1981年でだいぶ後の曲。

Toots & The Maytals Beautiful Woman
 

The Best of the Maytals

The Best of the Maytals

  • アーティスト:Maytals
  • 発売日: 2016/05/13
  • メディア: CD
上2曲はこのアルバム。
 
PRESSURE DROP-BEST OF

PRESSURE DROP-BEST OF

下の曲はこのアルバムに。