膨らまない話。

Tyurico's blog

裏を返せば

見る人が見ればわかると言うけれど、

これは逆に言うと結局ほとんどの人には違いがわからないということなので、そこであらためて良さが伝わるようにアピールしてみたところであまり意味がない。

宗教と価値の多様性

多様性を尊重しよう、多様な価値があることを認めよう、っていうのはもう近年では疑問を抱くことも許されないような考え方だと思うが、その中に宗教まで含んだ場合はどうだろう。 宗教というものは徹底すればそもそも多様な価値の併存を許さないものだと考え…

「そこが嫌い」と「そこが好き」はだいたい裏表

「誰々何々のそこが嫌いだ」っていうポイントは、たいてい好きな人にとっての「正にそこが好きなところ」っていうポイントであるので、こういう「好き嫌い」で他人と話が噛み合うというのはほぼ無理なことだ。

トルコの宮廷料理にはナス料理のレシピだけで数百もあるとかいう話で、

数百とは実に驚いた数の多さでトルコ宮廷料理の歴史と奥深さを示す一例と言えるのだろうが、 裏を返せば、これは世々のスルタンたちがどれほど美食に飽いていたか、退屈していたかという話でもあろうと思った。 結局焼き茄子が一番だと思っているくらいだし。

ムスリムのヒジャブという衣装の存在は、

女性の髪だとか手足だとかが異性にどれほど強力にアピールするものか、どれほど魅惑的なものであるかということを図らずも証拠立てているようなものだと思える。

『今どき「世界の大前研一」と言ってしまうあんまりなセンス』って記事を以前に書いたものだから、

より一層あの人の広告が付いてまわるようになってしまった。とんだ藪蛇。 ここでまた書いたからあの強い面相をますます見るはめになるわけだが。それにしても、さすがに「世界の~」って惹句は前世紀のセンスだと思う。 さて「世界のジョブズ」とは言わない…

よわさとつよさ

自分の弱さを人に見せられるというのは強さでもあるのだろう。

「人は見かけによらない」と言うことわざが意味するところ

自明の事柄に関してことわざはいらない。 「人は見かけによらない」とわざわざ忠告する必要があるということは、逆に「ほとんどの場合、人は見かけによって判断しても特に問題がない」ということを意味している。

ことさらに武士道などと言い出したのは

彼らがあらためて武士道というようなことを考え始めたというのは、 泰平の世で侍たちの行うべきことはいよいよ無くなり、それほどまでに自分たちが何者であるかわからなくなってしまったということではないか。

洗練と衰弱は

洗練と衰弱はおそらく地続きだ。 いっそう精緻になり、しかし力強さは失われる。

かつて新幹線が東京―大阪間を結んで、

それで親の臨終にどうにか間に合ったというようなのは確かにありがたい恩恵であるが、泊まりの出張で羽を伸ばすこともできたのが日帰りで片付けなきゃならなくなってしまったなんてのは、良いんだか悪いんだか。