膨らまない話。

Tyurico's blog

100字以内で

世界的な投資家の経済予測みたいなのって

あの手の人間は常に自分の利益になるように行動するわけだから、当然それも何らかの思惑とか目論見があってのことと考えるべきで、ニュートラルな発言のはずがない。 鵜呑みにすべきでない。

みんな違って、

「みんな違ってていい」とは思うのだか、 「みんなちがって、みんないい」とは必ずしも思わない。 あるがまま全肯定、というのは行き過ぎた仏教思想と同じで本当は救済にはなり得ないのではないか。 もちろん彼女は優れた詩人だったと思うが。 わたしと小鳥…

次に生きないような失敗は経験とは呼べないと知った。

この頃の反省。 また同じことをしてしまった。

民主主義の弱み、独裁政治の強み

民主主義の根本は話し合いで、話し合いの根本は相手の話を聞くことだ。 だから時間がかかるし、間を取った程々の決定になる。民主主義は決定のスピードと大胆さでは独裁政治にどうしても遅れを取る。

物事を良くしていくにはまず「これ嫌だな」と思う気持ちがなければ

「まあこれでもいいか」と思っていたら当然何も変化はない。 不平や不満を抱くことは良くないことに思われがちだが、そういうのを無視せずちゃんと拾い上げていくようにする。変えられるものは変えていく。

「元本保証」と書いて「ぜったいそんはさせません!」とふりがなを振る

こうすると分かりやすくなる。 易々と信用すべきものでない。

テレビやラジオで「過払い金は取り戻せます」っていうCMをあれだけ連発するってことは、

どれだけボロ儲けのチョロい商売かってことだろう。

他人の仕事というものは楽に見える。

とすれば、逆に他人からはやはりそのように見られるわけだ。

大関になるにはまだ何かが足りないか

御嶽海は優勝経験があり三役の地位も長く間違いなく力のある力士だが、逆に言えば三役が長いというのは大関の手前でずっと足踏みを続けているということでもあり、やはり何か足りないのだ。 稽古か、気持ちか、考えか。

誰かの利益は誰かの損失である世界

投資は損する者がいるから儲けが得られる世界で、皆が儲かる世界ではない。 ならば既存のプレイヤーは不慣れなビギナーたちが増える方が得である。 投資に誘う言葉というのはおよそ虎狼の甘言の類いと心得るべきか。

「これが正しい」と主張することは結局、

「これ以外にはない」、「これの他は間違っている」と他を否定することだ。ならば、正しさにおいて譲らないことは争い、諍いを招く。 ささいな言い争い、正当な論争、つまらないケンカ、殺し合い、紛争、内戦、諸々。

スマホ一つで何でもできる、という便利さは

スマホがなくなったら何にもできない、というリスクでもある。

コンビニのホット缶コーヒー売り場、温度を二段階にしてほしい

私はホット缶コーヒーの熱いのが好きなので、口にしてみたら思いの外ぬるかった時は結構がっかりしてしまう。「熱い」、「温かい」とか二段階にして売ってくれると嬉しいんだが。

人間の身体ってそもそも厳密な左右対称じゃないんだし

整体とかで身体の左右の歪みは良くないと言われるが、臓器は左右非対称だし利き手利き足で筋量が違うから左右の重さも違う。人間そもそも左右対称じゃない。あんまり歪んでたら問題だが気にしすぎるのは無駄かと。

北朝鮮よりも中国の方がよほど始末が悪い

北朝鮮も中国もどちらも明らかに「まともじゃない国」なわけだが、中国は圧倒的な力を手にした「まともじゃない国」であるので、ほんとは北朝鮮なんかより中国の方がはるかに厄介な問題だ。

元本保証で10%の利子って、

もう最初から嘘をついてるのと同じだ。 こういうの、もっと厳しく規制しなきゃ駄目だろ。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190206/k10011806011000.htmlwww3.nhk.or.jp ようやくケフィア事業振興会に捜査が入った。 でも結局、お金はほとんど戻ってこな…

ある可能性への着目が他の可能性を見えにくくしてしまう。

それに意識が固定されてしまって、結果、もっと良いものを見過ごすことになる。

頭のいいお笑い芸人というのはいいと思うんだけど、

「意識の高い」お笑い芸人というのはなんか嫌だ。 誰とは言わないが。

動かさないと動かなくなってしまう

身体も頭も、機械も。ここまでは経験的な事実を書いた。 では心はどうだ? 心は動かすものではなく動かされるものか。 ならばせめて開いておかなくては。 ただまあ若いに人はわかりにくい話かと思う。

音楽と政治は一緒の場に立つべきではないと考える至って簡単な理由

音楽は感情や気分に働きかけて人を動かす力を持つ。それも非常に強い力を。私は、政治において感情や気分で人が動かされることは危ういと考えるので、音楽と政治が一緒の場に立つことには賛成しない。

ブログを始めて数年、昔書いた記事を読み返した。

自分が昔書いた記事を数年ぶりに読み返してみたのだが、今読むと書いた本人でも文意がよく掴めない、ということもなく普通に読めた。 数年前の自分なんかもう半ば他人である。それが案外ちゃんと書けていたので安心した。

「中国の50年支配とインドの50年支配、どちらを選ぶ?」

という問いかけを翻訳まとめサイトで見た。で、各々が色々と言っていた。だがこれはそもそも問いが正確でない。 正しくは、「中国共産党の50年支配とインドの50年支配、どちらを選ぶ?」だ。 考えるまでもない。

理想主義者は現実もちゃんと理解してないと

理想をただ唱えるのじゃなく本当に理想を実現していこうと考えるなら、現実はどうなっているかということもちゃんと理解してないと駄目だろう。現実をよくわかってないのに現実を変えていけるわけがない。

賢さ愚かさ

メンサの会員ということだからもちろん知能指数の高さはお墨付き折り紙付きなんだろうけど、社会や政治についての発言となるとまあつまらないことしか言わない人がいる。頭の良し悪しというのも単純ではないな。

世の中は日々刻々と変化していくのだが自分の方はそうは変化しない、

なので歳をとっていくと世の中と自分のずれが次第に大きくなっていって、とかく「世の中間違ってる」ということになりやすいように思う。 気をつけたい。

馬鹿を馬鹿にするお前、

さりとて結局馬鹿が世の中の大勢であるというならば存外これを馬鹿にはできんのだぞ。 心せよ。

ブログも書き続けていたらやはりそれなりに文章が上達した。

いや、多くの人に訴える文章、ハイレベルな名文が書けるようになったとかではないけれど。 だがおおよそ、自分の言いたいことを過不足の無い文章で表現できるようにはなったと思う。 私にはそれで十分だ。

仕事や部活なんかでの「わかったか?」というデカイ声に対しては、

「いえ、わかりません」なんてとてもじゃないが言えないという困った話。 あれ、向こうは何を確認したいんだろうか。理解の確認だとは言い難い。 服従の確認? たぶん、何一つ生み出さない問いだな。

つい最近得た教訓

してもらいたいことを適切にきちんと相手に伝えることは重要であり、 そしてそのためにはまず第一に、自分が何を望んでいるかを漠然とではなく言葉で説明できるレベルで把握していないと駄目だ。 高くついた教訓だった。

不注意からミスやトラブルが生じた際に、

以後注意するように、以後注意します、と言ってみたところで、そのミスやトラブルは注意が途切れたところで生じたものなんだから、いずれ同様のミスやトラブルが再発するのは避けられない。 やり方を何か見直さないと。