膨らまない話。

Tyurico's blog

プリンス・バスターがジェイムズ・カーの Dark End Of The Street をカバーしてたのか

  

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ツイッターで知った。これは知らなかったな。
 

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彼がトゥーツ・ヒバートの息子かな

 

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トゥーツが亡くなった後のラジオでピーター・バラカンさんの話で、息子の声の感じがすごく父親のトゥーツに似てるらしいというのがあった。ボニー・レイットがそう言ってると。

なるほど確かにトゥーツの血を感じさせるものがあるな。
 

「意訳」の意味がわかってない人たち

  
ピーター・トッシュがカバーして有名になったジョー・ヒッグスのステッピン レイザー。
ちょっとこれを意訳してみる。
 
If you wanna live 死にたくなけりゃ
Treat me good 丁重に俺を扱いな
I'm like a walkin' razor 俺は歩くカミソリ
Don't watch my size, I'm dangerous サイズで判断すると危険だぜ
 
さてそれで思い出したんだけど、意訳という言葉の意味を勘違いしている人たちだ。
意訳って一語一語の訳に囚われず全体の意味を訳すことだからね。
訳者の意見をこっそり混ぜ込んだ訳文のことを意訳と言うんじゃないのよ。そういうのは歪曲とか捏造って言うの。
落合恵子のあのひどい翻訳を擁護する手合いにはそんなことも分かってないのがいるんだけど、でもまあつまりはその程度の連中、ってことなんだよな。
 
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JOE HIGGS - STEPPIN' RAZOR
 
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70年代の日本のレゲエ受容について調べる

 
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細野晴臣高橋幸宏。出会いは軽井沢・三笠ホテルのダンス・パーティーだった
 1973年5月5日に発表されたデビュー盤『サディスティック・ミカ・バンド』は、ロンドンでT・レックスやデヴィッド・ボウイに感化された加藤和彦グラム・ロック志向を色濃く反映し、また高橋幸宏が作曲した「恋のミルキー・ウェイ」においては、日本でいち早くレゲエのリズムを取り入れた。

 日本ではまだ珍しかったレゲエについて、同じ1947年生まれの加藤と細野晴臣が当時の対談で話している。「いまレギをやりたくてネ」と話す加藤に対し、「ウン、俺もウズウズしている」と応じる細野(*9)。ちなみにレゲエは、そのころレギやレガエなどと表記されることがあった。
 
*9 『ライトミュージック』ヤマハ音楽振興会、1973年10月号

「レガエ」という初期の呼び方は知っていた。reggaea を発音しちゃったわけだね。でも「レギ」というのは初めて聞いた。まあ強いて日本語で一番近い表記を取るとしたら「レゲエ」でもなく「レゲ」か「レゲェ」なんじゃないかと思う。
 

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 昔の音楽雑誌をペラペラ捲っていると、変な言葉が出てくる。レガエって知ってる?1970年半ばに突如として世界を席巻したレゲエミュージックですよ。
 日本の「ニューミュージックマガジン」で中村とうようが書いているんだけど、「今、レガエミュージックが熱い」なんて。
 レガエですよレガエ。いつからレゲエになったのかね。
当時はきっとレゲエなんて発音を聞いたことなかったんだろうし、スペル通りそのまま読んだんだろうね。

高校の時にポリスがデビューしてホワイトレゲエって紹介された。確かにレゲエの波はあったんだよね。で、影響を受けた友達が何でもかんでもレゲエにして歌ってて、ビートルズとかストーンズの有名な曲をレゲエにアレンジして演奏してた。

でも、リズムの取り方がへんちくりんなんで、「サティスファクション」をやっているつもりなんだろうけど、どう聞いても日本の宴会のノリ。もみ手が出てくる。1拍目にアクセントが来てるんだよなぁ。裏で8分の拍を取れねえんだよ。だから「あ~~いきゃん・げっつーの~お」みたいな歌になっちゃう。

すごくわかる。日本人の骨身に染み込んだリズムが邪魔をするのか。私も洋楽をすぐに「音頭」に変換してしまう。
 

●『パパ・ヘミングウェイ』 は、 加藤和彦及びパートナーの作詞家安井かずみがこよなく愛読していたアーネスト・ヘミングウェイの生涯をテーマにしたコンセプト・アルバム。本人曰く「ヘミングウェイの思想ってものを音楽に置き換えたらどうなるかってことで、また違う世界を作り出す手法に興味があって、あれを作った」。
レコーディングは作家ゆかりの地であるナッソーのコンパス・ポイント・スタジオと、マイアミのクライテリア・スタジオで録音。レコーディングメンバーとしてサディスティック・ミカ・バンドから小原礼高橋幸宏、前作 『ガーディニア』 にも参加した坂本龍一、そして高橋と坂本が所属するYMOのツアーサポートメンバーだった大村憲司
 代表曲「アラウンド・ザ・ワールド」「ジョージタウン」はシングルヒットしている。
79年当時としては、第一線のアーティスト・ミュージシャンを従え、レガエやカリプソのリズムを取り入れた最先端のサウンドアプローチとコンセプチャルなそのアルバムの世界観は35年経ったいまでも、色あせない最高傑作作品として高い支持をえている。

えっ?「コンパス・ポイント・スタジオ」って、アイランド・レコードというかクリス・ブラックウェルのスタジオじゃん。じゃあ私にとってはヘミングウェイというよりレゲエの関連だ。
 
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では、内海はなぜ初のソロ作でレゲエに取り組むことになったのだろうか。制作の経緯についてこう解説する。

「CAROLが解散した直後から、のちに『GEMINI Part.2』として(1976年に)リリースされることになるアルバムを作っていたんですよ。その最中にレコード会社から『The Cimaronsというバンドが来日するから、もう1枚録ってみない?』とオファーがあって。最初は『アルバムを作ってるから無理』と断ったんですけど、聴くだけ聴いてみてよとThe Cimaronsのレコードをもらったんです」

なお、内海が初めてレゲエについて意識するようになったのは、フォノグラムから企画が持ち込まれてからだという。てっきりエリック・クラプトンの「I Shot The Sheriff」がきっかけだとばかり思っていたが、内海はその言葉をやんわり否定し、こう続ける。

The Rolling Stonesなんかもそうなんだけど、(ルーツである)マディ・ウォーターズのほうを聴いちゃうと、そっちのほうがカッコよく思えちゃうんだよね。『I Shot The Sheriff』にしてもBob Marley & The Wailersのほうが断然カッコよかった。クラプトンにはクラプトンのよさがあるけど、ノリが違うもん。だからね、俺は基本的にルーツミュージックが好きなんです。ストーンズよりマディ・ウォーターズ、クラプトンよりボブ・マーリー


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若い頃に通いまくっていた伝説のロックバー「イエロー」のアキさんは、レゲエDJとなっていた私に「オレは1979年にボブ・マーリー中野サンプラザで見たけど、あの頃はレゲエなんて言葉はなくて、レガエなんて言ってたよ。ジャマイカから珍しいロックをやるアーティストが来日するっていうんで見に行ったんだ」と語ってくれた。このアキさんの話は私にとって衝撃的なインパクトがあって、そうかレゲエとはロックなんだと気がつかされることとなったのだ。

 
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クラプトンの I Shot The Sheriff。日本での発売も1974年なのか。
 
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スガシカオさんが語るメイタルズの話

 
「俺の超オススメ」、「これが俺はものすごいお気に入りで。」、嬉しいこと言ってくださる。
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J-WAVE 1/24放送『Mercedes-Benz THE EXPERIENCE』

スガ:インナー・サークルはすごく息が長いバンドで、結成が1968年で74年にメジャーデビューするんだけど、非常に脂が乗ってきた1980年にリードボーカルのジェイコブ・ミラーという方が27歳で事故死をして、そこから活動休止になっちゃうんです。そこから新しいボーカルのカールトン・コフィが入ってきて、『Games People Play』とかそのへんは新星インナー・サークルのカールトンがボーカルなんだよね。もともとはオーソドックスなルーツ・レゲエのバンドで、俺はルーツ・レゲエがすごく好きで、メチャクチャハマってたんだよね。高校生ぐらいのときからかな? スゲーハマってて、それこそボブ・マーリーは有名ですけど、ピーター・トッシュとかジミー・クリフとか、アスワドとか……一通り全部聴いて、スゴいハマっていた時期があって。インナー・サークルがメンバーが入れ替わり立ち代わりするじゃない? そのときの抜けたメンバーで作ったのがサード・ワールドだったんだよね。
 
岡野:あ、そうなんですか? 全然知らなかった。
 
スガ:そう。だからインナー・サークルってほぼほぼ、そのままサード・ワールドなんだよね。サード・ワールドはサード・ワールドで、ファンクとかソウルとか、いろいろな要素を入れて『Try Jah Love』とかの大ヒットになった。これもスッゲーはやったよね。
 

スガはさまざまなルーツ・レゲエがあるなかで「俺の超オススメ」と、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズを紹介。レゲエ誕生のエピソードについても語った。
 

スガ:これが俺はものすごいお気に入りで。もともとレゲエというのは始まりはジャマイカじゃない? ジャマイカって北米大陸の下のほうだから、ニューオーリンズとかマイアミとか、あの辺と近いからアメリカのラジオがジャマイカで入るらしいんだよね。そこから流れて来るR&Bとかソウルとかをジャマイカの人たちが聴いたんだけど、すごくボロッちいラジオで聴いてるので、2拍目と4拍目が強く聴こえちゃう。
 
岡野:なるほど、そういうことなんだ……!
 
スガ:(リズムの)1234のン、チャ!ン、チャ!というのが強く聴こえてきちゃうので、そういう音楽だと思って始めたのがレゲエの始まりだって言われてるんだよね。
  
岡野:すごいっすね、そうなんだ。
 
スガ:当然リズムだけじゃなくてメロディもR&Bとかソウルの影響をメチャクチャ受けているわけ。俺はもともとソウルとかが好きだったから、当然それに影響を受けた音楽のルーツ・レゲエがものすごく好きになっていく、というのは話としては繋がってるんだろうね。トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズはそのなかでも一番ソウル色、R&B色が強いバンドで、本当に彼ら自身もソウルの大ヒット曲のカバーアルバムを出したりするぐらい、すごくソウルが好きだったんだよね。
 

番組ではトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ『Love is Gonna Let Me Down』をオンエアした。


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岡野:この時代のルーツ・レゲエはこういう感じなんですね。
 
スガ:このトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの中心人物のトゥーツ(・ヒバート)は、去年の9月に亡くなっちゃったんですよね。それも新型コロナウイルスで亡くなっちゃったんだよね……けっこうなお年(享年77歳)なので高齢者の方は合併症とかもあるので危険なんです。ジャマイカで亡くなったらしいんですが。

 

 
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