膨らまない話。

Tyurico's blog

それでもイエローマンはジャマイカに生まれたからまだ良かったのかも

イエローマンジャマイカのミュージシャン。
彼はアルビノの黒人で、そのせいで親にも捨てられ周りからは差別されいろいろ苦労してきたようなのだが、それにも負けず見た目を言い表す蔑称の「イエロー」を敢えて芸名に選んで人気ミュージシャンとなったタフな男だ。
 

Mister Yellowman

Mister Yellowman

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だがそれでもイエローマンジャマイカに生まれたからまだ良かったのだ。

アフリカに生まれてたら命が無かったかもしれないのだから。
アフリカの一部の地域だろうが、アルビノの子供は襲われて手足を切断されたり殺されてバラバラにされたりするという恐ろしい話がある。ネットの噂とかじゃない、名の有る報道機関の記事だ。
 
しかしさらに恐ろしいのはその理由で、彼らは嫌悪や憎悪から襲われるのではなくて、これがまさに耳を疑う話なのだが、アルビノの身体には強い魔力が宿っていると信じられており、彼らの手足などを呪術の道具にするために襲われるのだという。
 
CNN これはマラウイの話。
www.google.com
 
Daily Mail これはタンザニアの話。
www.google.com
 
BBC 「お前の脚をもらう」、これもタンザニアだった。 
news.bbc.co.uk
 
犠牲者は子供ばかりではなかった。大人も殺されてしまう。埋葬された遺体すら狙われるらしい。
 
でも今時こんな迷信に囚われている連中も案外スマホなんかは持ってるんだよな。
スマホの光も無明は照せぬ。
 
teckiu.blog.jp
 
www.reggaecollector.com
 

プリンス・バスターの「ワン ステップ ビヨンド」って意味は

「一歩踏み出せ」、「一歩向こうへ」ということだろうか。
 

これは2003年、大阪のスカバンドデタミネーションズと一緒にやった時の。曲前の喋りでそんな感じのメッセージをバスターが語っている。(動画はその箇所から再生されます。)
「行く手を山が阻んでいる、そんな時。ああ、なんてこったと言う奴もいる。上等だ、やってやるぜと言う奴もいる。」意訳ね。

イントロからかっこいいなー。


 
オリジナル。1964年。

PRINCE BUSTER - ONE STEP BEYOND

 
これはマッドネスによるカバー。1979年。

Madness - One Step Beyond (Official Video)
 
冒頭のセリフを読んではじめて気づいたのだが、すごい韻を踏んでたんだな。

Hey you, don't watch that, watch this
This is the heavy heavy monster sound
The nuttiest sound around
So if you've come in off the street
And you're beginning to feel the heat
Well, listen Buster
You better start to move your feet
To the rockiest, rock-steady beat
of Madness
One step beyond
 

「表に出て来い、バスターを聴け」ってことかな。ただ、rock-steady beat って言ってるけどこの曲はスカだと思う。
 
 
ところで、実はアメリカの古いテレビ番組で One Step Beyond というのがあった。1959年から1961年にかけて放送された。
日本で放送された時のタイトル、『世にも不思議な物語』から察せられるように、この One Step Beyond というのは「日常の世界から一歩越えて不可思議な非日常の世界へ行ってしまう」という感じなんだろう。(後年のフジテレビ制作の『世にも奇妙な物語』という番組のタイトルもこれがルーツであるに違いない。)


世にも不思議な物語 1 「時空を超えた再会」(1/2)


案外、バスターもここから言葉を得たのではないか。すると「もう一歩足を出せ」ってよりも「未踏の領域へ踏み出せ」って感じだろうか。
放送時期はスカが生まれる少し前で時間的にも整合するし、その頃ジャマイカサウンドシステムをやっていた人間は流行りの音楽をアメリカから仕入れてたわけだから、十分あり得る話だと思う。*1
 
またバスターの別の曲 Al Capone では Al Capone guns don't argue ってセリフが冒頭に入るのだが、これも50年代に Guns don't argue っていうギャング物の映画があったようで、たぶんそこから来てるんじゃないか。*2
  
 
しかしさらに調べていたら、1963年のジャズのアルバムで One Step Beyond というのもあった。(アルバムタイトルで、同名の曲は収録されていない。)「フランケンシュタイン」とか「ゴーストタウン」とかホラーものっぽいタイトルの曲もある。

One Step Beyond

One Step Beyond

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こっちの可能性もあるな。。

 
最後にスカパラの。これは冒頭のセリフからまんまマッドネスのカバー。

TSPO -one step beyond
 
  
ジャマイカ音楽史初期におけるサウンドシステム・ビジネス事情と歴史的名盤 - ワールド・レゲエ・ニュース by ダブストア
 

*1:サウンドシステムというのはすごく簡単に言うと「移動式野外ディスコ」。ジャマイカオリジナルの音楽が生まれる以前はアメリカの最新のレコードを手に入れてそれをかける、というやり方で、どんな手を使っててでも他のサウンドシステムよりも新しい曲、盛り上がる曲を手に入れるということが重要だった。

*2:テレビ版をまとめて映画にしたものらしく、テレビ放送時のタイトルはなんと Gang Busters 。

スカとレゲエの最初の世界的ヒット曲は意外に古いのだった

スカもレゲエも実はごく初期に普通のポップスの体裁で世界的なヒット曲を出している。どちらもよく売れて日本でもレコードが発売された。
 
1964年、ミリ―・スモールの My Boy Lollipop。

Millie Small My Boy Lollipop Original) YouTube
スカにハーモニカというのがちょっと珍しい。ウィキペディアによると、もともとはホーンだったパートをハーモニカに替えたらしい。それでよりポップス寄りになっている感じ。

My Boy Lollipop: the Best of

My Boy Lollipop: the Best of

  • アーティスト:Millie
  • Spectrum
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「新リズム スカ 登場!!
プロデューサーはアイランド・レコードを創業したイギリス人、クリス・ブラックウェル。この世界的大ヒットを足掛かりにアイランドは発展したとのこと。
「唄」という表記や330円という価格に時代を感じる。でもよく考えれば1964年頃にシングル盤330円って結構な値段か。してみるとレコードって高い物だったんだな。



1968年、デズモンド・デッカーの Israelites。 

Desmond Dekker-Israelites
ミュージックビデオはおそらくイギリスで撮影されたものだろう。いわゆる「レゲエ」のイメージとはだいぶ違った雰囲気だし、最初に聴いたときはこれがレゲエだとは思わなかった。

  


邦題は「イスラエルちゃん」なんて残念なタイトル。
 

この曲は1969年のものだという記述も時々見られるが、写真の通り、1968年のリリース。最も初期のレゲエの一枚と言うことができる。
プロデューサーはレスリー・コング*1 
彼はジャマイカの音楽に大きく貢献したのだが、残念ながらレゲエが本格的に流行る前、1971年に30代で若死にしてしまった。
 
tyurico.hatenablog.com
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*1:レスリー・コング Leslie Kong(1933-1971) デズモンド・デッカーの他にも、ウェイラーズ、トゥーツ&ザ・メイタルズ、ジミー・クリフ、デリック・モーガンといったミュージシャンのプロデュースを手掛けた。中国系のジャマイカンで、「コング」と表記されるが、たぶん発音は鼻音で実際はむしろ「コン」に近いのではないかと思う。

ラジオの音楽番組でピーター・バラカンさんが意外に思えることを語っていた。

ピーター・バラカンさんが今月の放送で、1968年のデズモンド・デッカーのヒット曲、Israelites を流してから当時のイギリスを思い出して以下のように語っていたのが意外で印象に残った。(当時の些細な話というのは些細なことだけにほとんどは後に残らない。それゆえにむしろ実はけっこう大事なものだと思う。録音しといたものをほぼ言葉通りに文字に起こした。一部ゲストの受け答えがあったが内容に影響しないので省略した。)
 

この曲もね、ラジオで当時もう毎日のようにかかってて、まったく何を歌っているかがわからない(笑い)。あまりにも訛り、訛りっていうかあれはいわゆるクレオール語みたいなもので。
 
でもね当時、ラジオでもうほんと毎日のようにかかってたから、脳裏に焼き付いているんだけど、嫌いっていうかねあの、音楽が嫌いじゃなくてね、ジャマイカの音楽を一番好んで聴いていたのがねスキンヘッズだったんで、当時のイギリスでは。
それはけっこう怖い方々、もうめちゃくちゃ怖いです。僕みたいに長髪でまあちょっとややヒッピーっぽい恰好をしていた人間は、彼らはもう目の敵にしてるからね。で、家に地下鉄の駅からバスで帰ってくるんだけど、バス停の真ん前にね、安いハンバーガー屋があったんですよ。
そのハンバーガー屋にもうスキンヘッズがいつも一杯たむろしていて、バスを降りるのが怖くてね。

 
これがその曲。 Israelites
イスラエルちゃん」なんて変な邦題にされてしまったが、このヒット曲は日本でも発売された。でも歌詞の内容は、朝から奴隷のように働いて、それなのに女房子供は出て行っちまった、ああ俺は哀れな、っていうようなの。

Desmond Dekker & The Aces - "Israelites" (Official Audio)
 

デズモンド・デッカーはジャマイカンだから、もちろんイギリスの英語とは違ってるんだろうが、それにしても英語ネイティブのバラカンさんが当時デッカーの歌を聞き取れなかったと語っていたのは私には全く意外なことだった。英語を母語として話す人間でもわからなかったのか。*1 *2
また、「スキンヘッズ」って言葉とか写真とか知ってはいたんだけど、当時のリアルな感覚、体験として話が聞けたのは貴重だった。やっぱ怖い連中だったんだ。 
 
あと、昔バラカンさんも長髪だったということも今となっては結構意外な事実。
 
 

The Best of Desmond Dekker

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tyurico.hatenablog.com

 
 

*1:それでも「パトワ」というほどには崩れてないと思うのだが。

*2:後で調べてみたら、Wikipedia にも Although few could understand all the lyrics, the single was the first UK reggae number one、歌詞を全て理解できる人はほとんどいなかったにもかかわらずこの曲は英国で云々、と書いてあった。やはりそうなのか。

やっぱりプリンス・バスターって面白いミュージシャンだと思う。

バスターってラスタにはならずにイスラム教徒になってしまったくらいでレゲエの時代に名前を聞くことは少ないのだが、彼のやってることって、早くもスカの時代にリディムに乗せてトースティングをしてるようなものだと思う。なんか非常に斬新。新しい。*1
 
1964年。Al Capone、「アル・カポネ」。メロディのないキラーチューン。ところでキラーチューンって和製英語か?

Prince Buster Al Capone
最初のセリフ、「アゥカポーンガンズ ドンハーギュー」とか聞こえて、何を言ってるのかよくわからなかったのだが、どうも Al Capone guns don't argueアル・カポネの銃は問答無用だ、って言ってるようだ。アル・カポネは悪名高いアメリカのマフィアのボス。



1979年、スペシャルズのこの曲は Gangsters というタイトルだが、Al Capone のリディムに新しい歌詞とメロディを乗せたものと言っていいだろう。車の急ブレーキの音とか、Don't call me scar face ってセリフとかはオリジナルを踏襲してたわけだ。以前はボーカルばかりに耳が行ったが聴き直すと演奏も良いのね。

The Specials - Gangsters (Official Music Video)


大阪のスカバンドデタミネーションズとの共演。2003年。やっぱこの曲がかかると盛り上がるなあ。

Determinations & Prince Buster - Al Capone
 

最初全く乗り気でなかったバスターだがリハでデタミネーションズの演奏を聴いているうちにどんどんノッて来て大成功、というライブだった模様。バスターがゴキゲンになってくれて良かった。このライブアルバム、いいですよ。


スカタライツとの共演。たぶん1984年のイベント REGGAE SUNSPLASH の映像だと思う。しかしバスターがあまり「ルードボーイ」っぽくない感じ。

Prince Buster feat Skatalites Al Capone



これは2012年だったか?オーストラリアのバンド、メルボルン・スカ・オーケストラによるカバー

Melbourne Ska Orchestra - Al Capone (Originally by Prince Buster)



これはよくわからないが、Interskalactic というアイルランドのバンドらしい。しかし金髪お姉さんとサックスって様になるな。

Interskalactic - Al Capone




↓今回書いてて見つけたこれ、とにかく記事が面白すぎる。CDも買っとこう。
ototoy.jp
 


rollingstonejapan.com

 

*1:またバスターは、おそらく曲で相手を「ディスる」ということを世界で最初にやったミュージシャンだと思われる。1963年のBlackhead Chinaman。それに対して相手のデリック・モーガンも即座にBlazing Fireで返してやりあった。