膨らまない話。

Tyurico's blog

日本福音ルーテル岡山教会さま、事実と違います。聖職者って何なの全く…

日本福音ルーテル岡山教会さま、礼拝説教のお話は事実と大きく違っています。

調べものをしていてそちらのブログに行き当たり、2013年7月21日の礼拝説教という記事を目にしました。
その中の、リンドバーグ夫人(アン・モロウ・リンドバーグ)に関する牧師さまの説明に間違いが多々見受けられたため、牧師様のお怒りに触れはせぬかと恐縮ではございますがやはり捨て置かれず、牧師さまの過ちをこの場でもう一度あらためて指摘させていただきます。(2017年度より新しい牧師さんに代わっていた。これは前任の牧師の話。)

 
日本福音ルーテル岡山教会: 礼拝説教 ルカによる福音書10章38節-42節
ルーテル岡山教会
 
 
牧師さまは礼拝説教の文章で、
 
幼い長男が誘拐されて殺害された事件のあとリンドバーク夫人は人を避けるようになり、一人静かに海の近くで暮らすようになりました。 そこで代表作の『海からの贈りもの』を書きました。 夫人はその本の中で一人になることの大切さを語っています。
 
といった誤った認識を事実であるかのように語っておられますが、しかしこれは間違いであると明言できます。
 
リンドバーグ夫人の長男の誘拐殺害事件が起きたのは1932年です。
夫人の代表作『海からの贈りもの』が発表されたのは1955年です。
そこには二十年以上の経過があり、その間にリンドバーグ夫人はさらに五人の子供を得ています。作品も複数発表しました。
これらはわずかの手間を惜しまずに少し調べれば誰もが簡単に知ることができる事実です。
 
牧師さま、ご理解いただけましたでしょうか。
事件が起きて、夫妻を追い回すマスメディアを避けるようにはなりましたが別にリンドバーグ夫人は人を避けるようになってはいませんし、まして一人静かに海の近くで暮らしてなどいません。それは単に牧師さまの間違った思い込みに過ぎません。

 
『海からの贈りもの』は、リンドバーグ夫人がコネティカット州の自宅をしばし離れて海辺で過ごした休暇中の体験から生まれた作品です。一人海辺で暮らした隠者が書き綴った本ではありません。
それともう一つ、厳しい言い方になってしまいますが、長男の誘拐殺害事件と「一人になることの大切さ」を短絡させるのは全く都合の良い話づくり、至って安易なストーリー構成であると言わざるを得ません。(牧師さまの他の説教もいくつか読んでみたのですが、説教の題材にしようという心積もりのせいで事実の認識に有害なバイアスがかかっているように思われます。)
 
説教の間違いを指摘されるなど牧師さまにとっておそらく初めての経験でございましょうから、受け入れることなど到底考えられない程のご立腹かもしれないと危惧いたしておりますが、とはいえ何と申しましても牧師さまは何よりまず聖職者であり、加えて任命を受け教会で大勢の方たちにお話をされる責任の大きな立場であられますし、確かめもせず歴史上の人物についてのあやふやな知識を教会で吹聴されているのは全く如何なものかと憂慮せざるを得ません。
 
さて、間違えるのは仕方ないことです。人みな誰しも間違えます。
しかし、牧師さまのブログに間違いを指摘したコメントを書き込みましたところ一体何があったのでしょうか、その翌日コメントは消失しておりその上コメント欄は承認制に変更されていて、それで再度書き込みもしてみたのですが、最後は結局コメント欄そのものがブログから消えてしまいました。そこで仕方なく牧師さまのツイッターの方にメッセージをお送りしましたら今度はその翌日にアカウントごと全てが消えていました。なんとも不可解で残念な出来事の連続です。

神さまと共にあられる牧師さまとはいえどやはり一人の人間、色々とご事情もおありだったのであろうと斟酌はいたしますが、やむなくこのような形で再び牧師さまの過ちの指摘をする次第でございます。
 
 
何分にも全ては牧師さまご自身の所業の招いたる所と言う他はなく、悪しからずご理解いただきますよう願います。
人は存外見ているものですし、もちろん神さまは全てをご存じに違いありません。
願わくはこの一件が牧師さまの御精進の契機となりますことを。



追記
それから牧師さまは繰り返し何度も
リンドバーク夫人と間違って表記されておりましたが、もちろん正しくはリンドバーグ夫人ですので、今後また言及されるような場合はその点くれぐれもお間違いのないようご注意願います。

濁点が有るか無いかの些細な間違いでしかないと牧師さまの歯噛みは一層かと恐縮でございますが、
そちら日本福音ルーテル岡山教会の成り立ちには「リンドバーグ宣教師」という先人が関わっておられたとお聞きしております。
全く一体どうしてこのような粗相が。
まことに失礼とは存じますが主任牧師というお立場であられる以上その辺り肝に銘じて、もう少し念を入れて文章を書かれた方がよろしいのではと懸念いたします。みだりに文章など書くものではごさいません。

 
 
しかしほんと牧師という身でありながら、どうしてああいうことをやらかしてしまうかな。間違ったことを書いてしまったことなんてそれ自体は大したことじゃないのに。
 
人は弱いとは言え、信仰が自らを律する力にもならないって一体何なんだ。
岡山県 岡山市 北区 広瀬町 キリスト教 教会 ルーテル 福音
日本福音ルーテル教会