膨らまない話。

Tyurico's blog

『アッパレ!戦国大合戦』の冒頭シーンを考える。あるいは間をつなぐ想像力について。

劇場版『クレヨンしんちゃん』シリーズはもともと『クレヨンしんちゃん』ファンの間では評価が高かったのですが、2001年に公開された『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と2002年に公開された『アッパレ!戦国大合戦』の二作でファン以外からも広くそれも熱烈とも言える高い評価を得ました。
自分も特に『クレしん』のファンなのではありませんが、この二作には強い思い入れがあります。
両作品ともなんとなくTVで見てたらこれはちょっとすごい映画だぞと感じて、『オトナ帝国』の方は途中からだったもので、これはちゃんと見た方が良いと判断してもうそこから続きを見るのは止めて、翌日にDVDを借りてきて最初から見直したくらいです。

既にネット上には数多くのレビューが見られるので今更なレビューのようなものは止して、ここは『戦国大合戦』の冒頭のワンシーンの描写についてだけ書いてみることにします。


泉のほとり、戦国時代の姫が両手で水をすくって飲むというだけの場面ですが、最初に見たとき、ここの描写からこの映画は並のものではないと感じました。
 
姫はまず一度両腕を頭上に上げて手のひらを重ね、それから脇を締めるようにして両手を水面に差し入れて水をすくって飲む。
 
ここの描写は凛としたものがあって目にしだだけで感じるものがありましたが、少し考えてちょっと変ったその所作の意味するところも理解できました。
一度両腕を頭上に上げることで着物の袖は脇の方に落ちて、そこから脇を締めることで丁度たすきを掛けたような具合になるので、水に手を差し入れても袖を濡らすことがないというわけです。
 
この数秒ほどの短い描写に製作側がどれだけ考えて映画を作っているか、その量のようなものが感じられました。
簡単にするために実写で説明すると、「姫、泉の水を両手ですくって飲む」という脚本で撮影する場合、水に差し入れる両手をアップで撮り、そこから画面を切り替えて水を飲んでいる姿を撮る、これで済ませることもできます。

つまり面倒なところは飛ばして、辻褄が合っているように前後のシーンをつなげばそれで済みます。

しかし安易な画面の切り替えを避け、ここは水をすくって飲む姿をワンカットで見せたいと考えたとき、普通に水をすくったら着物の袖を濡らしてしまうと気付くことになり、では貴人が袖を濡らさずに両手で泉の水をすくうにはどうすれば良いかと考える必要が生じます。

戦国時代のリアルな合戦の描写が評判になったこの映画ですから、もしかしたらこのシーンの所作も考証的に拠る所があるのかも知れません。これを考証的な根拠をふまえて描いたというのもそれはそれで凄いと思うのですが、もしこの所作が制作の過程で考え出されたものだとしたら、それはむしろもっと凄いことだと思うのです。
 
関心が生じて調べてみたらこの2本の監督は原恵一さんという人で、ずっと以前の劇場版の『エスパー魔美』を手掛けたと経歴にあって、そういやその映画もたまたまテレビで見て何だか見入ってしまったことを思い出し、あの映画を作った人だったのか、と一驚しまた納得したものでした。
 
 
《映画評》 エスパー魔美 星空のダンシングドール ★★★★☆: 負け馬に乗る!