膨らまない話。

Tyurico's blog

「甲高い銃声」 は是か非か

光文社が出しているドストエフスキーの新訳版に対しては翻訳に関する批判が少なからずあって、そのなかに長期にわたり批判の記事を上げ続けているブログがある。
自分も別のブログで似たようなことをしているので体験としてわかるが、誤訳などの指摘をしているとそれだけでは収まらず、訳文の日本語表現としての不適切さ不自然さも目に付いて見過ごせなくなる。
亀山郁夫
そのブログの最近の記事で、 「とつぜん甲高い銃声が聞こえてきた。」 という訳文の 「とつぜん~銃声が聞こえてきた」 という部分が厳しく批判されていた。実を言うと最初、どこに問題があるのか少しわからなかった。問われているのは日本語としての表現の可否である。
やや考えて、「とつぜん銃声が聞こえた」 とするのが適当で、「聞こえてくる」 という表現は 「次第にあるいは連続的に音が耳に届く」 という含みがあり、銃声のような短く持続的でない音に対して 「聞こえてきた」 とするのは不適当だということなのだろうと見当をつけた。また反対の例を考えてみるに、例えば 「とつぜんビートルズの○○が聞こえてきた」 というような言い方なら確かに違和感はない。
しかし、あまり良くない表現だとはいえ、これを間違った用法だと断ずるのは躊躇する。


実は、例の訳文を目にして自分がまず違和感を持ったのはそちらではなく、銃声に 「甲高い」 という形容詞は不適切ではないのかという点だった。
そう自信もないので辞書を引いてみると 「甲高い」 という言葉には 「声の調子が高い。声が甲走った調子である。」 としか記述が無い。この形容詞は 「声」 に限って用いられる言葉だということになり、辞書に従うなら、それ以外の音にこれを用いたこの 「甲高い銃声」 という表現は間違いだということになる。
「聞こえる」 と 「聞こえてくる」 の用法の違いを明確に説明している辞書があるのか判らないが、「甲高い」 の用法は辞書的にはっきりしている。その意味においては、むしろ 「甲高い銃声」 という表現の方が問題にされて然るべきだとも言える。

「甲高い銃声」 をどう考えるのか聞いてみたかったのだが、そのブログはコメント欄が閉じられている。


それにしても 「甲高い声」 もしくは 「声が甲高い」 の二通りしか用法が有り得ないとは、なんとも使い道の乏しい言葉である。しかし検索してみると 「甲高い銃声」 という文例は少なからず引っ掛かる。他に 「バイクの甲高いマフラーの音」 というような例もけっこう見つかった。
ざっと見るにこれらは古くからあった用例だとは思われず、用法として未だ認められていないという限りにおいて、これらを逸脱した用例だとして否定することもできるだろう。

しかしまた辞書にある全く貧弱な用法を考えるにつけ、そこを拡げるように新たな用例が出てくるのは無理もないことかと思う。
自分の印象としては、「甲高い銃声」 というのは不可なのだが、「甲高いマフラーの音」 の方は可としても良い気がする。
辞書の記述にはただ、「声の調子が高いこと」 としかないが、「甲高い」 は単に音が高いというだけではなく、「耳障りでやかましいような声の高さ」 という意味で使われることが多いように感じ、ある種のバイクのマフラー音などは確かにそういう音であると思うからだ。
対して 「甲高い銃声」 の方には、そのような表現として納得できるだけのものが感じられない。
 
 
かのブログの記事を読んで、翻訳文の日本語としての可否を追求し続けていくと、判定つけ難い好き嫌いにも近い域に及んでいくことを感じる。
また辞書による説明の不十分さということも別に感じた。
さらに言葉が逸脱していく過程を見たかのようで興味深かった。


「とつぜん甲高い銃声が聞えてきた」 - 連絡船