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膨らまない話。

Tyurico's blog

山岡鉄舟は身長2メートル!? それからウィキペディアの拙い文章について

十年近く前のことだと思うが、森田信吾さんの時代劇マンガを読んでいたら幕末の山岡鉄舟は身長が2メートルあったみたいな記述がさらっと書かれていて驚いた。*1
子母澤寛の幕末物ならけっこう読んでいるのだが、鉄舟がそんな巨漢だったと読んだ記憶がない。

それですぐにネットで調べたのだが、これが全く埒が明かない。
どれも一様に身長六尺二寸、190センチ近い体躯だったことを書いているのだが、出典を記してあるのが見つからない。ネットで知った不確かな知識がネットの内部でぐるぐる回っているだけなのだ。さんざん探してようやく鉄舟の弟子であった小倉鉄樹の口述をもとにした 『おれの師匠』 が典拠らしいと見当がついた。*2
それからその頃のウィキペディアには、「身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)と当時としては並外れた体格であった。」とまるでトンチンカンなことが書いてあって更にびっくりした。*3
身長188センチ体重105キロの体格であれば、もちろん幕末のころ目を見張るような巨漢だが、現代の日本人でも堂々たるものでまず大男の部類であり、力士やレスラーとしても十分な体格だ。*4
さすがに現在ではこれは書き直されているが。
 
しかし言っちゃあ悪いが、ほんとテキトーなことをもっともらしく書いている説明がけっこうある。 
そんなこんなで、特にウィキペディアに関して強く感じたことなのだが、不確かなことを書いてある説明はたいてい文章そのものが拙い。断片的でしかない知識に文章としての体裁を取らせるとき無理が生じて不自然な形になってしまうのではないかと思う。
やはりこれも山岡鉄舟の記述からだが、「剣・禅・書の達人としても知られる。」 と書いてある。
「剣の達人」 というのはいい。 「書の達人」 もまあいい。
だが 「禅の達人」 って言い方はないだろう。手際良く文章を一まとめにしたかったのかもしれないが、これは駄目だ。

ウィキペディアの説明を読んでいてどこまで真に受けたら良いかは難しいところで、かといって全ていちいち他に当って確かめてもいられないし、で、とりあえず文章自体が拙いようなのは話半分で聞いておく、という自分の判定基準を決めました。 
 
 
 

たしかこの作品だったはず。主人公の伊庭八郎は実在の人物で、『明楽と孫蔵』、『慈恩』などとは違ってケレン味を抑えた時代劇になっている。
 
幕末維新なるほど人物事典

幕末維新なるほど人物事典

kindle版。探した限りであるが、鉄舟2m説はこちらが最初に思われる。 
 
おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝

↑値段が高くて手が出せない。こういう本こそkindle版が欲しい。
 
山岡鉄舟 幕末・維新の仕事人 (光文社新書)

山岡鉄舟 幕末・維新の仕事人 (光文社新書)

 
 

*1:「鉄舟は身長二メートル強、体重百五キロの巨漢に成長して」、これは泉秀樹氏の『幕末維新なるほど人物事典』より。森田さんはこちらを参考にされたかと思われる。ようやくのこと2m説を見つけた。とはいえやはり根拠は不明。

*2:山岡鉄舟研究会さまのブログより。 《 なお、朝右衛門は「身長五尺七寸(百七十三センチ)当時としては大柄ではある」(山岡鉄舟 幕末維新の仕事人)と両親共に長身であった。また、「師匠の六尺二寸二十八貫の體軀も母に似たものと思はれる」(おれの師匠)とあるように、鉄舟の立派な体格は両親の血筋を受けていた。 》と書かれている。「当時としては大柄」というのは、鉄舟の父の朝右衛門のことであって、ウィキペディアの文章はそれを鉄舟のことと読み違えて書かれたと思われる。

*3:これは2006年7月30日の記載。

*4:例えば、力士の稀勢の里関が187㎝、栃煌山関が189㎝、プロレスラーの武藤敬司選手、中邑真輔選手がどちらも188㎝。