膨らまない話。

Tyurico's blog

翻訳の批判でどの辺りを目途とするか

落合恵子による新訳『海からの贈りもの』の訳文のひどさに怒りを覚え、これを指摘し批判するためだけのブログを作った。5年前のことになる。
 

d.hatena.ne.jp

 
怒りの余りに結構な量の文章を書きながらしかしこれを読んでくれる人はいるだろうかと懸念していたが、半年ほど経った頃、同じことを感じていましたという趣旨のコメントを頂戴し、その後もぽつぽつとではあるが賛意のコメントを頂いている。
誇張なしに、あれを一通り読んでもらえただけでも有り難いと思う。躊躇は少なからずあったがやはり書いて良かった。
あらためまして読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
 
 
さてそうなってくれば異論の方も当然出るだろうと思ったのだが、少なくとも直接あるいは明確に述べる人はいない。ただ落合の『海からの贈りもの』がお気に入りである人たちが、論点を誤魔化して曖昧な独り言のような形で「私はそうは思わないけど。」ということを書くので始末が悪い。もう遠慮なく言うが、こういう連中はちゃんと読まない怠惰な人間であるか或いは誤魔化すのが上手なずるい人間だと思う。
「女の聖人」と訳すべき原文を「社会的に目覚ましい活動をした女」などと訳すフェミニズム作家の手前勝手な「翻訳」を根本の問題として批判しているのに、根本の問題には一切触れず「たとえ意訳や誤訳が少々あっても」などと誤魔化して語る。こちらは意訳など全く問題にしていないし、誤訳も事のついでに指摘しているだけでそれを本題にはしていないのだが。ひょっとしてこういう連中は「意訳」という言葉の意味を「訳者の意見が出てしまっている翻訳」だとでも勘違いしているのだろうか。
もちろんちゃんとした異論ならむしろこちらも望むところだが、落合の身勝手で無責任なあの「翻訳」を擁護するのはやはり同じ様にそんな連中ばかりなので、成程と納得もしたが都合の悪いものを見ようとしない狭量さにうんざりもした。


ブログの他にアマゾンにもレビューを上げた。これはそれまでのレビューを大差で抜いて「最も参考になったカスタマーレビュー」になった。
アマゾンは「「この商品を見た後に~%の人がこの商品を買いました」という表示もあって、購入の動向がわかるようになっている。*1
5年前の数字は、落合訳の『海からの贈りもの』を目当てに来て最終的にやはり落合訳を買う人が約60%、吉田健一による旧訳の『海からの贈物』を買う人が約30%、という比率だった。
やがて少しずつ落合訳を買う人が減っていき、このあいだ久しぶりに確認したところ、落合訳の購入者が32%、吉田訳の購入者が57%と、比率はほぼ逆転していた。
当初はレビューを上げたところで大勢に影響するようなことはあるまいと踏んでいたので、これらの結果は全く望外のことだった。アマゾンという限定された範囲のこととはいえ、変化がはっきりと生じたわけだ。レビューも意味のないことではなかった。
 

書いて変化は確かに起きた。
この上の希望を隠さずに言えば、落合の『海からの贈りもの』が絶版になって消え失せるのが何よりなのだがまあこれは現実性の低い願望というもので、とにかく出版社も商売が第一、出来がどうでも買う人間が湧いて来る限りあれで稼ぎたいだろうしそれに対してあんな劣悪なものをもう出版しないでくれと正直言いたいところだがさすがに実際そこまでは言えない。まあこれは仕方がない。

ではあの「翻訳」がちゃんと訂正されれば良いのかと言えば、それも全く違う。なぜあんな原著を汚す「翻訳」が許されると落合は考えたのか、そこの説明もなしに知らぬ顔で訂正だけ済ませているような事態は少しも望むところではないのだ。

それくらいならむしろ、あれはあのまま悪い翻訳の実例として残った上で、落合の身勝手で思い上がった翻訳ぶりをできるだけ多くの人に知ってもらう方を望む。
  
しかしつくづく落合ではなくやはり須賀敦子さんが新訳を手がけていたらと思う。
我田引水の落合と違って著者の言葉を大事にしてくれただろうし、こちらもこんな面倒なことをせずに済んだ。
 
 
 

遠い朝の本たち (ちくま文庫)

遠い朝の本たち (ちくま文庫)

 

*1:以前は普通に表示されたが、現在ではスマホからPCサイトを閲覧した場合にのみ表示される。