膨らまない話。

Tyurico's blog

「返り血を浴びる覚悟」なんて覚悟じゃないって。

 

「批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立するんです。」 p.115

ニッポンの書評 文社新書 豊崎由美

豊﨑さんは「お前ら素人にその覚悟はあるのか」、「こっちはその覚悟で書いてるんだ」と言いたいんだろうが、その「返り血を浴びる覚悟」って表現は具体的にはどういう意味なのか、どういう比喩になってるのか、全く理解できない。もちろん「返り血を浴びる」だけだったらちゃんと意味がある。
 

「覚悟」だなんて得意気で威勢がいいが、斬りつけておいて返り血だけで済むんだったら楽勝じゃないか。
というか、えらく虫のいい考え、おめでたい考えだ。自分が斬られること、自分が血を流すことは少しも考えてないんだから。

ならば逆に斬られても当然だ、と言うなら確かにそれは覚悟だが。
いったい何が言いたいんだろうか。何を言ったつもりなんだろうか。
 

大体、いつでも引っ込めることができる批判や批評なんかを本当に命が掛かった斬り合い殺し合いに喩えるなんてのが大げさすぎるしまた気楽すぎる。
それから、覚悟が有るだの無いだのと厳しい言葉を吐いてるのになぜ「~する覚悟」というところに比喩表現を使うのか。
覚悟ってのはそんな曖昧で間接的なものか。どういう理解なんだかさっぱりわからない。
ぬるい覚悟もあったものだ。
 
正直、こういうよくわかってない程度の低い表現は文学から悪い影響を受けた結果だとしか思えない。
返り血を浴びるのに覚悟が要るなんてエイリアンと闘う時くらいだ。
 
こういう雰囲気だけの安い言葉で文学が語られるというのがなんとも情けない。
 
本当にこんな馬鹿な言い回し誰が言い出したんだか。
覚悟って言葉は「こっちも無傷では済まない」って時の言葉だろ。
 
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