膨らまない話。

Tyurico's blog

末盛さんは須賀さんの本をちゃんと読んでないってことかな

 
須賀敦子さんの『遠い朝の本たち』の文庫版解説で、「すえもりブックス」などで知られる末盛千枝子さんがこんなことを書いているのが気になった。

そしてアン・モロウ・リンドバーグ。『海からの贈り物』を読んで、これほど深い内容をこんなに平易な言葉で表現できるのか、と驚いたことを憶えている。それだけに、その頃の訳が男性の文学者の手になるもので、原文とはまるで違うように感じられ、残念でたまらなかった。 p.220

 
ところが須賀さんはその本でこのように書いているのだ。

ある日、友人がきっときみの気に入るよ、と貸してくれた本の著者の名が、ながいこと記憶にしみこんでいたアン・モロウ・リンドバーグだった。この人についてならいっぱい知っている。
『海からの贈物』というその本は、現在も文庫本で手軽に読むことができるから、私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイの話よりは、ずっと現実味がある。手にとったとき、吉田健一訳と知って、私はちょっと意外な気がしたが、尊敬する書き手があとがきでアンの著作を賞賛していて、私はうれしかった。
 p.112

そして須賀さんはこの後、1ページを使って吉田健一の訳による『海からの贈物』の文章を引用している。


つまり末盛さんは、須賀さんが「うれしかった」と書いていることについて、「残念でたまらなかった」と解説で書いているわけだ。何なんだこれは。まさか吉田健一と「尊敬する書き手」が別の人間だとでも思ってるんだろうか。


結局のところ、末盛さんは須賀さんのこの本をちゃんと読んでいなかったか、わかっているのに敢えてこんなことを書いたか、そのどちらかしかない。知ってて知らぬ顔で書いたのだとしたら何とも嫌なことをしたものだし、気付かずに書いたとのだしたら出版の仕事をしていたとは信じられないくらい本の読み方が雑だ。どちらにしたところで「何やってんだこの人は」って話だ。これは駄目だ。*1
「残念でたまらなかった。」って、こっちが言いたいんだが。ほんとがっかりする。
全く意外だったが、末盛さんは言葉を大切にする人ではなかったと言わざるを得ない。


『遠い朝の本たち』は1998年、須賀さんが亡くなられた年に出版された。なので後の文庫版解説の残念な文章を須賀さんが目にすることもなかった。
幸いと言うべきなのか。

でもほんとに何でこんな駄目な文章が活字になったんだろう。
情けないという印象には誇張もなくて、それが末盛さんのみでなく、文学とか出版とか言われているもの対してのがっかり感。
まあ薄っぺらいもんだ。こういうものが文学とか出版なのか。
 
 
2021 8/6追記
最近になってもう一冊『海からの贈り物』という翻訳があったことを知った。

1969年に金星堂という出版社から出た。対訳らしい。
もしかしたら末盛さんが否定的に言及したのはこっちの方だったのかもしれない、これは自分の早計だったかと一旦は思ったのだが、考えてみればそうであったとしても結局末盛さんが須賀さんの文章をちゃんと読んでちゃんと書いてたらたらああいう解説にはならないということは同じなので、ここの文章はそのままとする。
やはりがっかりだな。
文学ってのもまあ本当に全くどうしたものか。

 

  これは新訳で、須賀さんが少女の頃に読んだものとは違うが、「私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイ」というのはこの本の中の文章。1935年、アン・モロウ・リンドバーグの最初の著作。 1935年と1942年にそれぞれ翻訳が出され、時を経て2002年にこの新しい翻訳で出版された。推測だが、『遠い朝の本たち』が新訳のきっかけになったのではないか。
アン・モロウ・リンドバーグの詩人としての資質が伝わってくる一冊だと思う。
 須賀さんが少女時代に読んだアン・モロウ・リンドバーグの文章というのは『日本少国民文庫 世界名作選』に収録されていた一篇。これはその復刻版で、第二巻の中の「日本紀行」というのがそれ。
有名な翻訳者の名前が並ぶ中で深沢正策という方は聞いたことのない名前だったが、読んでみて良質で魅力的な翻訳であると感じた。本の装丁は恩地孝四郎だった。こういう人選からもこの企画の熱意が時を越えて伝わってくる。

文庫版もある。
 
『日本少国民文庫』の世界と編集者たち|山本有三記念館|三鷹市スポーツと文化財団
 

*1:わかっている上で末盛さんはこう書いているということも考えられるのだが、その場合訝しく思ってしまうのは、須賀さんの存命中であっても末盛さんはこれと同じことを書いたかということだ。こんなふうはにまず書けないよな。著者が読むとわかっていて書ける言葉じゃない。わかっていて書いたにせよ気づかずに書いたにせよ、何やってんだこの人は、という感じだ。筑摩書房の編集者も全くどこを見てたんだろう。病床の須賀さんがぎりぎりまで推敲を加えて残した最後の一冊だというのにこんな残念な解説を付けるなんて。ちゃんと仕事しとけよ本当に。