膨らまない話。

Tyurico's blog

『はだしのゲン』は何よりまずマンガとして面白かったのだ。

昨年末、作者の中沢啓治さんの訃報が伝えられた。

はだしのゲン』を読んだのは小学生の時だったと思う。
あのマンガを少年ジャンプで連載していたというのは今からすると全く信じ難い事実なのだが、当時はマンガ雑誌というメディア自体がまだまだ野放し的な状態であったし、マガジン、サンデーの後から創刊した少年ジャンプは現在のようなメジャーなマンガ週刊誌ではなかったのだった。
あれは抑えた表現ですよと中沢さんは言ったらしいが、原爆投下直後の凄惨な描写からはとにかく今も消えないような強烈な印象を与えられた。あれがトラウマ的に残っている人も少なくないだろう。

作者が亡くなられて『はだしのゲン』に言及した言葉があちこちで見られたのだが、どれも「戦争反対」「核兵器廃絶」の理念的な話ばかりであって、マンガ作品としての『はだしのゲン』について語っているものはついに見つけられなかった。
 
だが理念的あるいはイデオロギー的な話は別にして、 『はだしのゲン』はまず何よりマンガとして面白かったのだ。 *1
現在、『はだしのゲン』はネット上でしばしばコラージュのネタとして使われるが、思うにこれも軽侮されているからではなく楽しまれているからこそで、マンガとしての面白さがなければそのようなことも起こり得ない。
 
学校の図書館に置かれたり授業で使われたりしても、マンガとして面白いところがなければ子供にそう読まれることはなかっただろう。
もちろん壮絶な体験が描かせた圧倒的なものが子供たちにも伝わったからなのには違いないが、このマンガの面白さの一つは、大人の教育的な意図とはおよそ真逆な、下品で野蛮な魅力だったのではないかと思っている。
優しい子なのだが、ゲンたちは随分と乱暴なことをしでかす子供でもあり、取っ組みあい殴りあいのケンカなんかは当たり前で、憎い奴の指を噛みちぎってしまったこともある。汚い言葉は平気で言うし、騙して馬糞を食わせたり小便を頭から浴びせたりもする。事情が差し迫れば盗みにも入る。
 
このマンガに出てくる子供は、時に暴力的で汚く下品なしかし痛快で魅力的な子供であって、「まじめないい子」などでなない。
更に言えば、『はだしのゲン』反戦反核ではあったとしてもけっして非暴力ではなく、むしろ、けしからん奴はやはりぶん殴ってやったほうがいいというような、理念的なものをはみ出す力が横溢しているように思う。
 
理念的なものだけで長くマンガとして命脈を保てるわけもないのだ。
 
 
 

  
 
 
追記
その後また調べて、マンガとしての面白さについて書いている方たちを見つけた。
http://itoyasu.jugem.jp/?eid=41
koshohirakiya.jp - koshohirakiya リソースおよび情報
 

*1:しかし第二部になると中沢さんの実体験に根を持たないイデオロギー的な描写が強くなっていることは否めない。