膨らまない話。

Tyurico's blog

「これが正しい」と言うことは結局「他は認めない」と言うことか

 
少し前のこと、筆記具の持ち方を調べたことがある。
私は筆圧が強いようで書いていて手が痛くなるし何よりそもそも綺麗に書けないし、それで持ち方を自分なりに模索しているうちに調べるようにもなった。

ペンの持ち方」、「鉛筆の持ち方」 とかで検索してあれこれ見たところ、大別して二通りの持ち方になるようだと判断できた。

一つは小学校の先生が推奨している持ち方で、もう一つはペン習字の先生が推奨している持ち方。

比べて見るに両者はだいぶ違っている。
「小学校派」はまず人差指と親指で鉛筆をくわえるようにして持つ形から始めるので、その二本の指の位置が大体揃っている。極端に言うと人差し指と親指でつくる輪のまんなかを鉛筆が通るような見た目。
「ペン習字派」は、親指が人差指より少し後ろに位置して、むしろ中指と親指にポイントを置く。 人差し指がペンに添うような形なので「小学校派」とは見た目がだいぶ違う。

推奨している形はだいぶ違っているのに、双方とも 「これが正しい持ち方」 だと言っているわけだから、これはどうしたものかと考えてしまった。
自分なりに模索して至った持ち方は結果としてペン習字の持ち方と同様であったのだが、仮に私が小学生の時分にこの持ち方で書き馴染んでいて、しかし担任教師が善意と熱意の「小学校派」であった場合、私は矯正の対象になる可能性が高い。


さてそこからの話だが、「これが正しい持ち方だ」と断言するのは、反対に言うと 「これ以外の持ち方は認めない」と言っているのに等しい。
要は「これ以外の可能性は無い」、「これ以外の在り様は認めない」と断言しているわけだから、こういう方針で子供時代に指導されたらかなりしんどい。
 
本などで見た知識に過ぎないが、野球のバットやゴルフクラブのグリップの仕方にしたって一様ではない筈だ。
せいぜい 「良い持ち方」 程度の表現にしておけば良いのにと思う。「これでも十分書けてるんだから鉛筆の持ち方くらいでうるさいこと言うな」っていう類の反発が生まれるのも無理もない気がする。


しかしこれはまた単に筆記具の持ち方の話だけではないとも考えられて、何ごとにせよ「これが正しい」と断言することは結局「他は認めない」と言っているのと変わりないのだから、そもそも随分と排除的な、あるいは挑発的な言葉であるわけだ。
ならば当然のこと言い争いは起きるし果ては殺し合いだって起きる。

これは大げさな話ではない。
「正しい」という言葉の意味を考えることになってしまった。