なぜ「ある人間が体験したことを別の人間が継承していける」なんて思えるのだろうか。
体験というのは直接的で一回限りのものだ。
もし仮に、他の人間によって誰かの体験が正しく継承され得るのだとしたら、逆にその体験の唯一性、かけがえのなさは色を失ってしまう。
体験とはむしろ、想像力や共感によってもついに越えられない断絶があるということを突きつけてくるものではないのか。
そんなことに注力するよりも体験者たちの語りをそのまま文章、音声、映像で記録して後世に伝えることを考えるべきだろう。
話芸の伝承ではないのだ。