膨らまない話。

Tyurico's blog

歴史秘話ヒストリアの「あざやかなり首里城」は変だ。鎌倉芳太郎の功労を全く紹介しないなんて。

去年、主要な建物が焼失した沖縄・首里城。450年もの歴史を誇り、アジアの交易の拠点として繁栄を極めた「琉球王国」の象徴的な城だった。時に華やかな琉球文化の礎となり、時に明治維新や太平洋戦争といった、沖縄の悲しみの歴史を間近で見つめた。そして戦後、知恵を結集して行われた「首里城復元プロジェクト」。それを紹介した番組のアーカイブ映像も交え、喜びと悲しみにいろどられた沖縄の歴史を、首里城からひも解く。
 
歴史秘話ヒストリア「あざやかなり首里城

 
番組は、かつて王朝であった琉球明治維新で完全に日本の一地方となり、首里城は主のない廃城となって荒れ果てていき、最後には沖縄戦で灰燼に帰した、という説明だった。
だが戦前に首里城の取り壊しの決定がなされたこと、それの撤回のために動いた鎌倉芳太郎のことが一言も語られなかったのは一体どういうつもりなんだろう。
しかも、荒廃した首里城を写した写真を出したとき「撮影 鎌倉芳太郎」とキャプションを付けておいてだ。
 
鎌倉が残した首里城の調査資料や写真は戦後の再建の際に大いに役立ったという話だ。
知らなかったわけがない。NHKは、首里城を守ろうとした「内地」の人間がいたという話を無かったことにしたいのか、作りたいストーリのために除外したのか、と勘繰ってしまう。
鎌倉芳太郎ってそれこそ「ヒストリア」や「ふしぎ発見」で番組一本作られて良い人物だよ。
 

鎌倉芳太郎は東京美術学校を出て沖縄に赴任した教師で、沖縄に深く魅了されていった彼は沖縄の文化の詳細で広範な調査にのめり込んだ。後に彼は沖縄の紅型の研究の第一人者となり型絵染で人間国宝にもなった。
戦前は首里城取り壊しの撤回を働きかけ、また沖縄戦で灰燼に帰した首里城再建の際には彼が残した詳細な調査や写真が大きな役割を果たした。
それで鎌倉芳太郎は「首里城を二度救った男」なんて言われる。
 
与那原恵さんの評伝『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で読んだ。
 

首里城への坂道:鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像

首里城への坂道:鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像

  • 作者:与那原恵
  • 発売日: 2013/07/11
  • メディア: 単行本