膨らまない話。

Tyurico's blog

横綱は全ての力士の手本であれ 再び「横綱の品格」について

 

横綱の品格とは何か」、なんて変に難しい話にするんじゃなくて、もっと単純に「横綱は全ての力士の手本でなければならない」という一点で考えたらどうか。そこはもう議論の余地は無いだろう。
もっとわかりやすく言えば「横綱は強くて当然、勝って当然。でもそれだけじゃ駄目なんだ、立派でないといけないんだ。」ということなんで、至って簡単な話だと思うんだが。
こう説けば文化の違う外国出身の力士にだって伝わるものがあると思う。みんな変に抽象的に考えて話を難しくし過ぎてるんじゃないのか。

 
3年ほど前にこういうことを書いたのだが、当時はそういうことを言ってる人が自分の他に誰も見つからず目につくのは「品格」についての埒が明かない「なんだかな」って感じの抽象的な詮議ばかりで、それで遠慮がちに書いたのだが、今はもっと自信を持って言える。二人の横綱がそのように言ってるのだから。それこそ百人力、いや二百人力の力添えをもらった気分だ。
それから「横綱に必要なのは強さか品格か」とか馬鹿なこと言うんじゃない。
横綱にとって強さは当然のこと、あらためて言う必要もないことだ。

 
youtu.be

記者
照ノ富士関の中でいま横綱の地位というのはどういうものだと考えがありますか。 
 
照ノ富士
今まで通りには、絶対ダメですから。やっぱりみんなの見本と、基本になるような横綱でいたいな、と思ってます。
横綱昇進伝達式後のインタビュー。動画はこのところから再生されます。)

 

横綱は、自分のためにだけ相撲を取っていればいいわけじゃない。相撲界のためにも取る――もちろんお客さんもそうだし、たくさんいる下のお相撲さんたちに、見本を見せなきゃいけない立場なんだ。
“ご意見番”武蔵丸の苦言「白鵬よ、右ヒジで顔面を狙うのはいけない」「正代戦も元横綱の僕としては許せなかった」 - 相撲 - Number Web - ナンバー

 

栃ノ心関の「力士の手本となるように稽古に精進します」という口上を聞いたときも嬉しかったな。
tyurico.hatenablog.com
それにしてもこういう真っ当至極な言葉を言えるのが皆外国出身の力士なのはどうしたもんだ。
 

tyurico.hatenablog.com
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横綱は力士の手本であれ - Google 検索
 
www.sankei.com

大相撲で大関に復帰した照ノ富士の師匠、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は「本人は長い間、苦しんでいた。それに負けずに頑張ってきた成果だ。優勝して大関になったから立派。諦めないで、頑張ればやれるということを示している。各力士のお手本になる」と話した。

 
www.news-postseven.com
 

品格とは、その人の生き様であり、すべての人に理解されるものではない。よって品格を明確に言葉で表わせるものではない。人によっては、勝つことが品格かもしれない。勝負師たるもの、勝つこと前提で戦っているし、勝ってなんぼの世界なので、それはそれでいい。白鵬関を叩く人もいるが、逆に勝負師として、勝つことの大切さを学んでいる人もいるわけだから。

 自分にとっての「横綱の品格」は、すべての力士が目標としている地位であり、自分が上がった以上は、みんなの目標であり手本となる存在にならなければいけないという思いがある。上に立つ者は、下から出てきた人間に負けると、騒がれる立場にもなってくるので、覚悟と責任感を持ってやるしかないと思っている。