膨らまない話。

Tyurico's blog

『南の島に雪が降る』を読んだ

 
日本の敗戦が迫る昭和二十年、熱帯ニューギニアの手作りの芝居小屋で瘦せこけた日本兵たちは舞台の雪景色にただただ涙を流していた。 
 
著者の加東大介さんは映画『七人の侍』の侍の一人。戦前から舞台、映画と活躍した役者で、役者一家の生まれでお姉さんの沢村貞子さんも役者で、長門裕之さん、津川雅彦さんのおじになるのか。だからマキノ雅弘監督も親戚になる。

読んでみて、なんだかんだ加東さんはまだ運が良かったんだと思った。
10年ぶり二度めの召集で衛生伍長だったので二等兵で最前線というようなのとは違ってたし、芝居の一座は大事にされたから少なくとも飢えで死ぬようなことはなかった。
芝居の一座と書いたがこれでは語弊がある。役者たちが慰問で戦地を訪れたわけではない。加東さんが中心になって芸の玄人から素人まで適材となる人を見つけ、衣装や小道具大道具の工夫を重ね、何もないところから作ったのだ。

上官の中には彼が役者だったと知る者もいたから最初のうちから長唄の叶屋二等兵というのと慰問に廻ったりもしてたのだが、ニューギニアに着いて半年もしないうちに戦況が悪くなって一変。
とうとう「半分は転進し、残りの半数でここを死守せよ」と命令が下る。
ここで命運が分かれた。

残された加東さんたちは「転進」組を羨んだが、本当に地獄を見たのは「転進」組の方だった。後に「死の行進」と呼ばれたやつだ。残った方は既に敵にとっても意味がなくて玉砕は免れ命拾いをした。しかし生き延びたが見通しはなく食糧は乏しく、だんだんと皆の心が荒んでやけっぱちになり些細なことでの口論や喧嘩などが増えていく。
 
そこで兵の気持ちを和らげまとめるために演芸だ、演芸しかないと命令が出た。

手探りの初演が成功して、やがてどんどん大掛かりになり、大人数になり、専用の小屋が建つと芝居やら歌やら上演を一年以上にわたってほとんど毎日行うようになった。

次回の芝居を見ることを支えに生き延びて芝居を見終えて自分の部隊に帰ると息を引き取る、そんな兵士もたくさんいたのだが、それでも彼らは舞台に故郷を見て、仲間に看取られて土に埋めてもらえたのだから、ジャングルで絶望のなか果てた命よりは救いがあったように思える。

芝居に携わった面々は命を落とすことなく全員日本に帰ってこれたのだが、二人、芝居に身を入れ過ぎたばかりにその後の人生がすっかり狂ってしまった人が切ない。
私はこういう人たちのことが後々まで記憶に残る質なのだった。

泣ける本だが笑えるようなエピソードも多い。またドラマにでもすればいいのにとちょっと思ったけど昨今のドラマじゃなあと思い直した。
 

 
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