膨らまない話。

Tyurico's blog

アン・モロウ・リンドバーグ

 
アン・モロウ・リンドバーグ1906年-2001年)はアメリカの作家であり、また航空機の黎明期における女性飛行家としても知られている。*1
 
1906年6月22日、ドワイト・ホィットニー・モロウ、エリザベス・カッター・モロウ夫妻の次女としてニュージャージー州に生まれる。
父親のドワイト・モロウ (1873年-1931年) はその晩年、1927年より駐メキシコ大使を務め、1930年には上院議員に選出された人物であり、第30代大統領クーリッジの友人でもあった。母親のエリザベス・モロウ (1873年-1955年) は詩人・作家として活動し、また代理という形であるとは言え1939年から1940年までのあいだ母校であるスミスカレッジの学長を務めたような人物だった。同校において女性がこの職を務めたのは初めてのことだったという。
アンの両親はこのような人たちであって、彼女は経済的な面でも教育的な面でも極めて恵まれた家庭環境に生まれ育ったと言える。母親と同じくアンもまたスミスカレッジを1928年に卒業した。
 
アンには姉が一人、下に妹と弟がいて、三人姉妹の次女だった。その辺りを翻訳家の中村妙子氏は次のように記している。

美貌の姉と才気煥発な妹の二人のあいだにはさまれて生い育ったアンには、彼女自身がこの本の 「まえがき」 に書いているような、 「場違いなところに顔を出して、名も知られずにぎこちなく佇み、紹介されるときを内気そうに待っている人間」 にありがちな、自意識過剰の気味がありました。 *2

この文章はアンがどのような少女であったかを示唆している。おそらく彼女は、後に自分が飛行機を操縦するような女性になるとは思いもしていなかっただろう。*3
 
今日では代表作である Gift from the Sea 、 『海からの贈物』 の著者として知られるアン・モロウ・リンドバーグであるが、彼女の名が最初に世に知られたのは、当時おそらく世界で最も有名な人間であったリンドバーグ大佐、チャールズ・オーガスタス・リンドバーグの妻としてであった。
チャールズ・オーガスタスリンドバーグ1902年-1974年) は1927年5月21日に単独での大西洋無着陸横断飛行を史上初めて*4成し遂げ、一躍世界的な名声を得ていた。その同年の12月、大使として任地にあったドワイト・モロウの招待を受けてチャールズ・リンドバーグはメキシコを親善訪問する。*5 その地で彼はアンと出会い、のち1929年5月に二人は結婚した。夫妻は生涯で6人の子供を授かった。*6

結婚後、アンは飛行機操縦に関する知識と技術を学び、副操縦士としてまた通信士としてチャールズの飛行に同行するようになる。*7 その体験をもとに最初の作品である North to the Orient1935年に発表し、作品は高評を以て迎えられた。次いで1938年Listen! the Wind を発表する。
 
彼女の代表作となった内省的エッセイ Gift from the Sea1955年に出版されると本国でベストセラーになり、また多くの言語にも翻訳されてなお長く読み継がれている。 
 
 
参考 
Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Anne_Morrow_Lindbergh
http://en.wikipedia.org/wiki/Gift_from_the_Sea
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Lindbergh
http://en.wikipedia.org/wiki/Dwight_Morrow
 
Smith College/Elizabeth Cutter Morrow
スミスカレッジによるエリザベス・カッター・モロウの紹介記事。
"Her largest contribution, however, was her role as acting president for the interim year, 1939 – 1940, after the resignation of William Neilson as president in 1939."
blogs.smith.edu
 
スミソニアン航空宇宙博物館によるアン・モロウ・リンドバーグの紹介記事。
"Anne Morrow Lindbergh was an accomplished pilot and author. In 1929, she became the first woman in the US to earn a glider pilot's license. The following year, she served as navigator on a transcontinental flight with her husband, Charles Lindbergh, which set a new speed record. Morrow Lindbergh earned her private pilot's license in 1931."
airandspace.si.edu
 
Air and Space Magazine/ "The plane that taught Anne Morrow Lindbergh to fly is flying again."
アン・モロウ・リンドバーグが実際に操縦した複葉機Brunner-Winkle Bird が修復されて数十年ぶりに再び空を飛んだ、という記事。
www.smithsonianmag.com
 
Virginia Aviation Museum/1929 Brunner-Winkle "Bird", BK
上記の Brunner-Winkle Bird についてのヴァージニア航空博物館の記事。
"Charles Lindbergh of New York to Paris fame was so impressed with the aircraft that he bought one for his wife, Anne Morrow Lindbergh. " チャールズ・リンドバーグはこの複葉機が非常に気に入って、アンのために購入したと記されている。
http://eaa231.org/Museum/Brunner-Winkle/Brunner-Winkle.htm
 
根室市HP/リンドバーグの大西洋横断、北太平洋横断の航路 
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/1/1309.html
 
ウィキペディア/スミス大学
由緒のある名門私立女子大学であるらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9%E5%A4%A7%E5%AD%A6 
 
 
tyurico.hatenadiary.jp

 

*1:「飛行家」 というのは 《aviator》 の訳語と考えている。 「操縦士」、《pilot》 とはまた少し意味合いが異なる。空を飛ぶことがまだ組織や業務に属していない古き時代の、といった感じ、あるいは開拓や冒険や自由といったイメージが 《aviator》 にはあると言える。また、《pilot》 は職業であるが 《aviator》 は職業ではない、という言い方もできるだろう。

*2:『翼よ、北に』 みすず書房 「訳者あとがき」 より。上記 North to the Orient の邦訳。

*3:チャールズとの結婚がなければおそらくアンは飛行機を操縦することはなかっただろう。2009年の映画『アメリア 永遠の翼』でその生涯が描かれたアメリア・イアハートなど、アメリカには女性飛行家の先駆けと呼ばれる人が多数いるのだが、女傑と言うようなタイプの女性飛行家とはアンはまた違っているように思える。

*4:交代なしの一人の操縦、途中の着陸や着水もなしという条件下で、ニューヨークからパリまで大西洋を横断飛行することに初めて成功した。単独・無着陸などを問わないのであればチャールズ・リンドバーグ以前にも大西洋横断飛行には成功例がある。

*5:J.P.モルガン&Co. 勤務時代、ドワイト・モロウはチャールズ・リンドバーグのフィナンシャルアドバイザーだったとウィキペディア英語版に記されている。

*6:このうえなく恵まれた人生にも思えるが、彼女はまた大きな悲劇にも見舞われた。1932年3月、夫妻の初めての子供であったまだ一歳のチャールズ・リンドバーグ・ジュニアが誘拐される事件が起きる。誰もがその名を知る著名人が狙われた犯罪はマスコミの格好の好餌となり、事件は好奇の眼を以て連日のように取沙汰された。二か月後、痛ましくも夫妻の長男は遺体となって発見される。 その後犯人とされる人間が逮捕され事件は一応の決着を見せたが狂騒は収まることはなかった。1935年の暮れに夫妻は密かにアメリカを離れ、1939年に帰国するまでヨーロッパで過ごした。

*7:2014年7月現在、ウィキペディア英語版を始めとしてグライダーのライセンスをアメリカ人女性として初めて取得したとしか書いていない記述がほとんどだが、上記の参考記事からプロペラ機のライセンスも持っていたことがわかる。スミソニアン航空宇宙博物館の記事を読むと、グライダーのライセンス取得が1929年、1931年にプロペラ機のライセンスを取得したということらしい。