膨らまない話。

Tyurico's blog

70年代の日本のレゲエ受容について調べる

 
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細野晴臣高橋幸宏。出会いは軽井沢・三笠ホテルのダンス・パーティーだった
 1973年5月5日に発表されたデビュー盤『サディスティック・ミカ・バンド』は、ロンドンでT・レックスやデヴィッド・ボウイに感化された加藤和彦グラム・ロック志向を色濃く反映し、また高橋幸宏が作曲した「恋のミルキー・ウェイ」においては、日本でいち早くレゲエのリズムを取り入れた。

 日本ではまだ珍しかったレゲエについて、同じ1947年生まれの加藤と細野晴臣が当時の対談で話している。「いまレギをやりたくてネ」と話す加藤に対し、「ウン、俺もウズウズしている」と応じる細野(*9)。ちなみにレゲエは、そのころレギやレガエなどと表記されることがあった。
 
*9 『ライトミュージック』ヤマハ音楽振興会、1973年10月号

「レガエ」という初期の呼び方は知っていた。reggaea を発音しちゃったわけだね。でも「レギ」というのは初めて聞いた。まあ強いて日本語で一番近い表記を取るとしたら「レゲエ」でもなく「レゲ」か「レゲェ」なんじゃないかと思う。
 

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 昔の音楽雑誌をペラペラ捲っていると、変な言葉が出てくる。レガエって知ってる?1970年半ばに突如として世界を席巻したレゲエミュージックですよ。
 日本の「ニューミュージックマガジン」で中村とうようが書いているんだけど、「今、レガエミュージックが熱い」なんて。
 レガエですよレガエ。いつからレゲエになったのかね。
当時はきっとレゲエなんて発音を聞いたことなかったんだろうし、スペル通りそのまま読んだんだろうね。

高校の時にポリスがデビューしてホワイトレゲエって紹介された。確かにレゲエの波はあったんだよね。で、影響を受けた友達が何でもかんでもレゲエにして歌ってて、ビートルズとかストーンズの有名な曲をレゲエにアレンジして演奏してた。

でも、リズムの取り方がへんちくりんなんで、「サティスファクション」をやっているつもりなんだろうけど、どう聞いても日本の宴会のノリ。もみ手が出てくる。1拍目にアクセントが来てるんだよなぁ。裏で8分の拍を取れねえんだよ。だから「あ~~いきゃん・げっつーの~お」みたいな歌になっちゃう。

すごくわかる。日本人の骨身に染み込んだリズムが邪魔をするのか。私も洋楽をすぐに「音頭」に変換してしまう。
 

●『パパ・ヘミングウェイ』 は、 加藤和彦及びパートナーの作詞家安井かずみがこよなく愛読していたアーネスト・ヘミングウェイの生涯をテーマにしたコンセプト・アルバム。本人曰く「ヘミングウェイの思想ってものを音楽に置き換えたらどうなるかってことで、また違う世界を作り出す手法に興味があって、あれを作った」。
レコーディングは作家ゆかりの地であるナッソーのコンパス・ポイント・スタジオと、マイアミのクライテリア・スタジオで録音。レコーディングメンバーとしてサディスティック・ミカ・バンドから小原礼高橋幸宏、前作 『ガーディニア』 にも参加した坂本龍一、そして高橋と坂本が所属するYMOのツアーサポートメンバーだった大村憲司
 代表曲「アラウンド・ザ・ワールド」「ジョージタウン」はシングルヒットしている。
79年当時としては、第一線のアーティスト・ミュージシャンを従え、レガエやカリプソのリズムを取り入れた最先端のサウンドアプローチとコンセプチャルなそのアルバムの世界観は35年経ったいまでも、色あせない最高傑作作品として高い支持をえている。

えっ?「コンパス・ポイント・スタジオ」って、アイランド・レコードというかクリス・ブラックウェルのスタジオじゃん。じゃあ私にとってはヘミングウェイというよりレゲエの関連だ。
 
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では、内海はなぜ初のソロ作でレゲエに取り組むことになったのだろうか。制作の経緯についてこう解説する。

「CAROLが解散した直後から、のちに『GEMINI Part.2』として(1976年に)リリースされることになるアルバムを作っていたんですよ。その最中にレコード会社から『The Cimaronsというバンドが来日するから、もう1枚録ってみない?』とオファーがあって。最初は『アルバムを作ってるから無理』と断ったんですけど、聴くだけ聴いてみてよとThe Cimaronsのレコードをもらったんです」

なお、内海が初めてレゲエについて意識するようになったのは、フォノグラムから企画が持ち込まれてからだという。てっきりエリック・クラプトンの「I Shot The Sheriff」がきっかけだとばかり思っていたが、内海はその言葉をやんわり否定し、こう続ける。

The Rolling Stonesなんかもそうなんだけど、(ルーツである)マディ・ウォーターズのほうを聴いちゃうと、そっちのほうがカッコよく思えちゃうんだよね。『I Shot The Sheriff』にしてもBob Marley & The Wailersのほうが断然カッコよかった。クラプトンにはクラプトンのよさがあるけど、ノリが違うもん。だからね、俺は基本的にルーツミュージックが好きなんです。ストーンズよりマディ・ウォーターズ、クラプトンよりボブ・マーリー


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若い頃に通いまくっていた伝説のロックバー「イエロー」のアキさんは、レゲエDJとなっていた私に「オレは1979年にボブ・マーリー中野サンプラザで見たけど、あの頃はレゲエなんて言葉はなくて、レガエなんて言ってたよ。ジャマイカから珍しいロックをやるアーティストが来日するっていうんで見に行ったんだ」と語ってくれた。このアキさんの話は私にとって衝撃的なインパクトがあって、そうかレゲエとはロックなんだと気がつかされることとなったのだ。

 
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クラプトンの I Shot The Sheriff。日本での発売も1974年なのか。
 
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