膨らまない話。

Tyurico's blog

100字以内で

歳をとると怒りっぽくなるという話はどういうことか

歳をとって衰えていけば自分の思うに任せぬ物事は増える一方であって、 また怒りというものが「こうあるべきだ」という自分の意に沿わない物事に生じるものだとすれば、 歳をとると怒りっぽくなるのは必定であるか。 「ありえへん!」 人は「有るまじき事」…

ハリー・ポッターとルーク・スカイウォーカー

おじさんのところに預けられ不遇の日々を過ごしていた平凡な少年は実はすごい人の遺児だった、そして冒険が始まる、という物語の始動はほぼ同じ。 さすがにヴォルデモート卿が実はハリーの父親という展開はなかった。

スカスカの知識。

アインシュタイン→「相対性理論を提唱した物理学者」 相対性理論→「アインシュタインが提唱した物理学の理論」 こんな程度の知識も珍しくない。 自戒の意味も込めて。

日本人は、キレイ好きで、勤勉な、HENTAI。

日本人はキレイ好きで勤勉なヘンタイ。海外が見る日本のイメージをTVとネットの情報から綜合すればこんな感じだろうか。 まんざら間違ってないと思う。

好きなことを仕事にするのは難しいと言われるわけは、

夢と現実とか、お金が絡むと好きだけじゃ済まないとかの話でなく、 たぶん、仕事というのは他人がしてほしいことに応えてお金を頂戴することで、 自分のしたいことを追求することとはそもそも方向が反対だからだろう。

実写化して良かった作品というお題なら『座頭市』

といっても平成のじゃなく、勝新太郎の『座頭市』。それも大映作品のほう。 座頭市物語 [DVD]出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2012/06/29メディア: DVD購入: 1人 クリック: 2回この商品を含むブログ (6件) を見るこの作品によって「座頭市」というキャラク…

大人用オムツの「アテント」ってダジャレ?

調べてみても少しも得るところが無いので積年の疑問を書いてみた。 「アテント」って商品名、「アンタもうオムツあてんと、」っていうダジャレなんだろうか? 小林製薬だったら言うまでもないのだが。

巨大ロボットというより巨大神像みたいな

それまでの巨大ロボットアニメは、「ロボット」と言うもののフォルム的にはむしろ巨大な「神像」と巨大な「怪獣」が闘っているのに近かったけど、ガンダムが登場して機械と機械が闘っている感じが濃厚になった。

へなちょこ少年がロボット物の主人公になったということ

やはりガンダムはいろいろと画期的だったが、ロボット物の主人公がへなちょこ少年だったという点も私には新鮮だった。ロボットから降りてケンカしても強いような主人公がロボット物って感じだったので。

「体に良い」ということを結局は「頭」で判断している。

これを食べると良いとか、 あれは食べたら駄目とか、 どういう食品、どういう食べ方が自然に反しているとか、 あらゆる食材を二元論で捌くとか、体に良いということを結局すべて聞いて覚えた知識や理念によって判断する。 むしろ頭でっかち。

よわさとつよさ

自分の弱さを人に見せられるというのは強さでもあるのだろう。

『寄生獣』と『うしおととら』と『デビルマン』の共通性

主人公がなかば異類と化すことによって人類の存在を脅かす異類と戦う力を得る、という形式は『寄生獣』も『うしおととら』も共通している。遡れば『デビルマン』がそれだ。

「我に理あり彼に非あり」

それがどういう類のものであろうと、怒りとは「我に理あり彼に非あり」というものだと言えるのではないか。 おそらく全ての怒りの根底にあるものは「私は正しい あいつは間違っている」という断定だ。

どの政党にではなく、パワーバランスに投票したい。

有権者それぞれに10票が与えられる。 で、A党5票、B党3票、C党2票、というように投票、集計される。 消去法でA党かと思いながらバカ勝ちはさせたくない。 どこが勝つかより、力のバランスに注文を出したいのだ。 投票しどころが分からない - 膨らまない…

「人は見かけによらない」と言うことわざが意味するところ

わかりきっている事柄にことわざの必要はない。 「人は見かけによらない」とわざわざ忠告しているということは、逆に「ほとんどの場合、人は見かけによって判断しても特に問題がない」ということを意味している。

21世紀のダビデとゴリアテか

写真はアルジャジーラより。 見れば投石器を使っている。 投石器といってただちに連想するのは旧約聖書のダビデだ。 だが今日ゴリアテと呼ばれるべきはむしろイスラエルだ。 2千年越し、いや3千年越しのアイロニーか。 www.aljazeera.com

感動体験と作品の価値は別もの

「私の心が揺り動かされた」という事実と、作品の価値は別物だ。類型的なたわいもないものにいたく揺さぶられ涙を流すということだってある。

手放しの絶賛というのはもはや身びいきに近い

手放しの絶賛を見ると、そんなに凄いのかとつい恐れ入ってしまうが、 身を乗り出して手放しで絶賛するというのはもうそれを半ば我が事として見ているからなので、そこを差っ引いて受け取った方がいいと思う。

今回の騒動はともかくとして、『美味しんぼ』は

なんだってキャラの顔の横幅がああも広くなってしまったんだか。栗田さんが「海原雄山氏」とか呼び出したのもムズ痒い。

「なんで」とは問わない

ある時から、「なんで」、「どうして」という言葉では考えないようにし、「どうすれば」という言葉で考えるようにした。 まあわりとこの頃の話なのだけれど。 思考パターンや性格を変えようとするより言葉を変える。

エヴァンゲリオン  閉鎖/侵入/拒絶/融合

あるいは、境界/侵入/拒絶/融合。 TV版のエヴァンゲリオンを設定やストーリーの解釈なしで見ると、使徒のサイズでも人間のサイズでも、大体こんな感じの話だと思う。

花とメカニズム 狂い咲きという現象から

花の狂い咲きは、とにかく一定の条件が満たされれば構わず作動してしまうという事だと考えられ、ならば生命の概念はメカニズムの概念と必ずしも相反しない。こういう辺りは機械の馬鹿正直さとそう違わない。

百万部の本

それがどんな本であれ、一時のあいだに百万部も売れるというのはもはや必要のない人にまで間違って届いてしまっているということだろう。 「バカ」 の本はなぜ売れるのか - 膨らまない話。

誰もが合理的な考え方をすると前提することは合理的な考えではない。

合理的な考え方の中には、「非合理な考え方をする者も少なからずいる」という考えも入れて置くべきだと思う。

技術が2倍に進歩しても被害は1/2にならないということ

仮に従来と同じ重量で2倍の強度の素材が得られても、 結局それを1/2の厚さで使用したり、 2倍のスケールの物を造ったりするのが大方なので、 事故の際の被害は必ずしも1/2とはならない。 なかなか。

ことさらに武士道などと言い出したのは

彼らがあらためて武士道というようなことを考え始めたというのは、 泰平の世で侍たちの行うべきことはいよいよ無くなり、それほどまでに自分たちが何者であるかわからなくなってしまったということではないか。

洗練と衰弱は

洗練と衰弱はおそらく地続きだ。 いっそう精緻になり、しかし力強さは失われる。

信用より何より、猪瀬さんはあれだ、

猪瀬さんは今回の件で信用を失ってしまったとかよりもむしろ、 完全に笑い者になってしまったことの方が傷がでかい気がする。

かつて新幹線が東京―大阪間を結んで、

それで親の臨終にどうにか間に合ったというようなのは確かにありがたい恩恵であるが、泊まりの出張で羽を伸ばすこともできたのが日帰りで片付けなきゃならなくなってしまったなんてのは、良いんだか悪いんだか。

なぜ彫刻の方が絵画よりも早く写実的な表現に至るのか

絵画での人物表現と、彫塑での人物表現を歴史的に比べてみると、洋の東西を問わず、彫刻や塑像の人物表現の方がより早い時期により高い写実性を実現しているように思われるのだが、立体の方が表現しやすいのだろうか。