膨らまない話。

Tyurico's blog

記事メモ 塩野七生 × 池内恵「パクス・ロマーナが壊れるとは、どういうことなのか」 

 
www.shinchosha.co.jp
 

キリスト教世界とイスラム世界
 
塩野 この本を書いた少し真面目な意図を言うと、こういうことがあるんです。日本人は、キリスト教世界とイスラム世界が、なぜこんなにうまくいかないのだろうと思っているはずです。もうちょっとお互いに歩み寄ったらいいのではないかと。でも実は、キリスト教イスラム教には、十字軍の戦いだけでなく、過去にこれだけいろいろな対立があり、歩み寄るのは非常に難しいんだということを日本人に知ってもらいたかった。
 
池内 本当になかなか理解されないですよね。でもそれは、日本人に限らないでしょう。例えばアメリカ人もよく理解していない。アメリカは、イスラム世界と直接に取った取られたというような経験をしていませんから。その点、ヨーロッパは、イスラムとの価値観の違いを目の当たりにしている。食べ物が違って、肌の色が違って、体臭も違うということを体で感じとっている。こちらは豚肉料理を美味しく食べているのに、豚を食べるなんてとんでもないといった人が間近にいるのですから。
 
塩野 その通りですね。ヨーロッパ人は、この本で書いたように、イスラムの海賊に一千年の間、苦しめられてきています。そうしたキリスト教世界とイスラム世界の確執を日本人もアメリカ人もよく知らない。今ヨーロッパ連合にトルコが加盟したがっていますが、なかなか進まない。日本人からすると、なぜダメなのか疑問でしょう。しかし、私のトルコ人の友人は、「やはり、一四五三年に、ビザンチンをやっつけたのがいけなかったのか」なんて言っています(笑)。
 
池内 EUの政治家や官僚が表向きに話すことはきれいごとが多いですよね。でも正式なインタビューが終わると、露骨に嫌悪感や敵意をむき出しにする。本音と建前の使い分けは日本にしかないなどという人がいますが、そんなことは全然ないわけです。
 
塩野 まったくそう。現実の問題として、もしトルコがEUに入ると、トルコの出生率からいって、早晩トルコはEUで最大の国になる。EU議会の構成は、各国の人口比で決まることになっているので、これは大変な問題なんです。
 
池内 本音と建前の乖離が激しいという点では、ヨーロッパにおけるイスラム問題ほど乖離が激しいテーマはありません。ヨーロッパには、「自由と平等」というような、近代のとても美しい理念があり、その理念は一応普遍でなければならないわけですが、そこにはイスラムは入らないじゃないかということを、ヨーロッパ人は感覚的にわかっている。しかし、それを言うと、「差別」「非寛容」とされてしまうから言わない。そしてさらに、イスラムに適用できないんだったら、そもそもヨーロッパの人権理念は普遍ではないことになってしまう。それもあって、決して言わない。
 
塩野 そうなんです。言えない。問題が複雑で。いつか池内さんにお聞きしましたよね。「イスラム世界にとって、ルネサンスはいつだったか」と。すると、池内さんは「それはイスラムが成立して拡大発展していった時期。イスラムがもっとも勢いのよかった時期。これこそがルネサンスだと思っている」とおっしゃった。しかし、イスラムの人たちはわかっているのでしょうか。ルネサンスとは、自らに疑いを持つことで、疑いを持って自分を見つめ切った後にしか、本当の飛躍がないことを。キリスト教世界はルネサンスを経験し、さらにもう一度、啓蒙主義も経るわけです。しかし、イスラムはそれらを経ていない。私が書いた時代の話ではなく、現代のイスラム世界のことですが、自分自身に疑いを持たない、つまりは自分の行動について反省をしない人間というのは、もしも不都合が起こった場合に、他人に責任を転嫁しませんか。それが、現代のイスラムに対する唯一の心配です。
 
池内 ヨーロッパの人々が、イスラム教徒を好きか嫌いかは別にして、ある種の根本的な倫理を共有してない、と受け止めていることをよく感じます。人間主義が定着した世界においては、ある絶対的な規範が神によって人間の外部から与えられている、と信じてそこからすべての論理と倫理を組み立てる人とは、一人の人間として同じ平面でお互いに語り合うことができない、というところに行き着いてしまう。

 
この辺の話は私がずっと関心がある話だ。著作を読まなきゃいけないか。