膨らまない話。

Tyurico's blog

記事メモ 読んで泣いた。

日刊スポーツ 2023年12月18日
 
錣山親方死去から一夜、弟子の阿炎は涙こらえ「わがまま言うともうちょっとだけ見てほしかった」
 
遺志は引き継がれていく-。大相撲の元関脇寺尾で、17日に60歳で亡くなった錣山親方(本名・福薗好文)の弟子、小結阿炎(29)が涙をこらえ″師匠超え″を誓った。訃報から一夜明けた18日、日本相撲協会錣山親方が17日午後8時27分、うっ血性心不全のため都内の病院で亡くなったと発表。併せて22日午後6時から通夜、23日午前10時から告別式をともに東京・江東区清澄3の6の2の錣山部屋で行うことも発表された。喪主は妻伊津美(いつみ)さん。師匠の幼少期のニックネーム「アビ」のしこ名を持つ阿炎は尊敬する師匠の名前を、自身の活躍で一段と広める考えを示した。
 
厳しくて、おっかない、でも最高に優しかった″オヤジ″は、もういない。部屋の前で報道陣に対応していた阿炎は、目を真っ赤にして入門から10年余りを振り返った。入門前からのやんちゃが治らず、不祥事で出場停止処分も受けた。それでも錣山親方は見捨てなかった。そんな師匠と並ぶ最高位関脇の29歳は声を震わせながら、あふれ出る感謝の言葉を止めなかった。
 
「(体調不良は)今までも何回かあって、僕的には鉄人と思っていた。師匠なら戻って来るだろうと思いつつも、やっぱりかなわなかった。泣くと怒られるので我慢したけど、耐えきれなくて朝まで泣いていた。たくさんの愛をいただいたし、厳しくもしてもらった。迷惑ばかりかけても、父親のような広い心でずっと守ってくれた。『この人についていきたい』と思えることが多かった。わがまま言うと、もうちょっとだけ見てほしかった」
 
容体が悪化したとの知らせを受け、17日は大阪・堺市での巡業を休場し、朝に出発、急きょ帰京した。最期の瞬間に立ち会うことができ「最期は安らかに寝たという感じだったのでよかった」と気丈に話した。17日深夜に部屋に遺体が運ばれると、遺体の隣で寝た。
 
「隣に布団を敷いて、師匠が好きだったハイボール献杯して朝まで寝た。師匠の横で寝るなんて失礼だけど、今なら怒られないかなって。でも、本当は怒られたいけど…」
 
番付で追いつき、師匠が果たせなかった幕内優勝も昨年九州場所で果たした。ただ追いついたなどとは、全く感じていなかった。
 
「あの人を超えたいと言っているけど、まだ背中すら見えない。もっと稽古して、いろんな人に名前を広めたい。(番付で)師匠を超えるぐらいしないと、師匠の名前も自分の名前も広まらない。(師匠の名前を)誰も忘れられないようにしていきたい」。
 
「アビ」は錣山親方の幼少期の愛称だった。師匠が貫いた真っ向勝負の遺志を継ぎ、師匠譲りの回転の速い突っ張りで「寺尾」の名前を後世につなぐ。阿炎の恩返しの旅は終わらない。