膨らまない話。

Tyurico's blog

スージーQを六つ。

ジョジョの奇妙な冒険』でスージーQというキャラクターがいるのだが、やはり『ジョジョ』だからこれが名前の元ネタだろうというのがあって、デイル・ホーキンスが歌ったスージーQという曲がある。これが1957年。*1

Dale Hawkins - Susie Q [HQ]
イントロのギターからキャッチーなこの曲は後にローリングストーンズCCRによってカバーされてオリジナル以上に広く知られるようになった。年代や知名度を考えると「ジョジョ」の元になったのはカバー曲の方かもしれない。 
 

the rolling stones - susie Q - extended to 3:03 - enhanced sound 
 
 

Creedence Clearwater Revival: Suzie Q
 
 
これとは別に、女性ロックシンガーのスージー・クアトロ本名 Susan Kay Quatro だから確かに彼女はスージーQ。)が元ネタではないかという説もある。その彼女がスージーQカバーしているのがこれ。*2 まあ「本人」なものだから、歌詞を I'm Suzi Q って変えて歌っている。


Suzi Q.....
 
 
しかし実はまた、もっと古いブルーズの曲でやはりスージーQという名の全く別の曲があって、ブルーズ好きな私にとってはスージーQと言ったらむしろこっちで、逆にデイル・ホーキンスの方は最近まで知らなかった。
サニー・ボーイ・ウィリアムソンの Ⅰ の方が歌っている。*3

Sonny Boy Williamson I - Susie Q
サニー・ボーイ・ウィリアムソン Ⅰ は1948年に亡くなっているので、とにかくデイル・ホーキンスのものより古い曲であることは間違いない。Discog によると1939年のレコードらしい。この二曲は何か関係があるんだろうか。歌詞もメロディも違って同じなのはタイトルだけなのだが。
 
 
それでもう少調べてみると、「スージーQ」というのは1930年代に生まれたダンスのステップのことだとウィキペディアにあった。なるほど確認してみるとサニー・ボーイの歌詞も the susie Q となっているし、デイル・ホーキンスの歌詞とは違って、もともとは女性のニックネームじゃなかったんだ。
これはサニー・ボーイの曲より更に古い、「みんな、スージーQで踊ろう!」みたいな曲。 Doin' The Suzie Q 。最新のダンスで踊ろうよ、って感じなのかな。

Lil Hardin Armstrong - Doin' The Suzie Q - 1936
彼女はルイ・アームストロングの二番目の奥さん。この曲は1936年らしい。
 
 
それにしてもスージーQってとにかく印象的なワードだ。
 
 
Suzie Q (dance move) - Wikipedia
 
もう一人のサニー・ボーイ。勝手に名前をパクって活動してた食えない人物。でも実力はすごい。

 
サニー・ボーイⅡの曲のどれを貼ったらいいんだろうかと思うがとりあえずこの辺りを。それこそ唯一無二の彼のボーカルとハープの魅力が伝われば。

Sonny Boy Williamson Fattening Frogs For Snakes

Sonny Boy Williamson - Down Child

*1:ジョジョ』の第二部に登場する。脇役だが、ジョセフ・ジョースターと結婚して空条承太郎の祖母になるので重要と言えば重要なキャラクター。

*2:ウィキペディアの日本語版だと本名は Susan Kay Quatrocchio となっているが、英語版の説明によると、彼女の祖父はイタリアからの移民で、登録手続きの際に Quattrocchi が Quatro になったとのこと。(Quattrocchi で、Quatrocchio ではない。)ここは英語版の記述に従う。

*3: 「サニー・ボーイ・ウィリアムソン」と名乗ったブルーズシンガーは二人いて、区別するために言及する際は「Ⅰ」、「Ⅱ」と付けるようになった。本家の「Ⅰ」は不運にして早死にしてしまい、勝手に名前を拝借して名乗っていた「Ⅱ」の方が長生きしてしかも実力もすごかったものだから、結局「Ⅱ」の方が有名になってしまった。

「空耳アワー」にキング・タビーが。

タモリ倶楽部の「空耳アワー」にキング・タビーが。
 

そう言われてみると良い子ですね
 

元ネタ曲。 

King Tubby - Gorgon Speaks Version 
「ガーガン」より「ゴルゴン」か「ゴーゴン」の方が適切かな。 
  
 
まあこっちが大元なのか。Versionじゃないオリジナルの。*1

Cornell Campbell - The Gorgon Speaks
この曲いいな。

 
 
キング・タビーの他のをもう少し。タビーさん、王冠取ると結構後退してた。

King Tubby - Dub I Can Feel
スピーカーの修理か改造でもしてるんだろうか。
 
 

King Tubby - Cannabis Dub (Heavenless)
 
 

Best Of

Best Of

 
I Shall Not Remove: 1975-1980

I Shall Not Remove: 1975-1980

 

こちらは同曲も収録したコーネル・キャンベルのアルバム紹介記事。「つれづれげえ日記」さんのレゲエアルバムレビューのブログ。とにかく圧倒的な量。おすすめ。
teckiu.blog.jp
 

*1:レゲエにおけるこの Version というのは、「リミックスバージョン」とか言う場合のような一般的な意味とは全く違っていて、ごく簡単に言うと原曲からボーカルを抜いて演奏メインにアレンジした曲のことを意味する。

死者が出るほど激しく対立していた政党の党首二人をボブ・マーリーがステージの上で握手させた、というのはよく語られる美しいエピソードなんだが、

 
それでめでたしめでたし、なんて単純な話じゃなかったんだな、ということがこの写真一枚から察せられる。

f:id:Tyurico:20180201214039j:plain

ボブ・マーリーとの温度差はもうどうしようもない位に明らかだし、党首二人は目を合わせようともしていない。「仕方なく」という感じだ。*1


こちらはその動画。4:20くらいから。ワン・ラブ・ピース・コンサート。
二人の表情が全てを語っているし、この熱狂の中でマイノリティーである白人二人が「ノー」なんて言えるわけがない。

one love concert 1978 Bob Marley
 
時に映像は無情だ。
 
 
 
www.tapthepop.netそう単純な「物語」ではないと思う。
 
 
 
こういう現地にいる人の記事はとても参考になる。
www.riddimonline.com
 

*1:ボブの右側が人民国家党の党首マイケル・マンリー。左側がジャマイカ労働党の党首エドワード・シアガ。

黒人のフィギュアスケーターがいることを今回のオリンピックで初めて知ったのだが、

他の競技での活躍から考えれば黒人のフィギュアスケート選手はもっと増えていくだろうし、たぶん競泳選手も出てくることだろう。
 
さてそこから思ったのだが、これがシンクロナイズドスイミングの場合だとデリケートな話になったりしないだろうか。

はっきりそうは言わないかも(言えないかも)しれないが、やはり見た目を揃えたいから「白人だけでチームを組みたい」、同様にと言うのか反対にと言うのか、「黒人だけでチームを組みたい」というような話になった場合、それは人種差別だ、ということになるのだろうか。
 

末盛さんは須賀さんの本をちゃんと読んでないってことかな

 
須賀敦子さんの『遠い朝の本たち』の文庫版解説で、「すえもりブックス」などで知られる末盛千枝子さんがこんなことを書いているのが気になった。

そしてアン・モロウ・リンドバーグ。『海からの贈り物』を読んで、これほど深い内容をこんなに平易な言葉で表現できるのか、と驚いたことを憶えている。それだけに、その頃の訳が男性の文学者の手になるもので、原文とはまるで違うように感じられ、残念でたまらなかった。 p.220

 
ところが須賀さんはその本でこのように書いているのだ。

ある日、友人がきっときみの気に入るよ、と貸してくれた本の著者の名が、ながいこと記憶にしみこんでいたアン・モロウ・リンドバーグだった。この人についてならいっぱい知っている。
『海からの贈物』というその本は、現在も文庫本で手軽に読むことができるから、私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイの話よりは、ずっと現実味がある。手にとったとき、吉田健一訳と知って、私はちょっと意外な気がしたが、尊敬する書き手があとがきでアンの著作を賞賛していて、私はうれしかった。
 p.112

そして須賀さんはこの後、1ページを使って吉田健一の訳による『海からの贈物』の文章を引用している。


つまり末盛さんは、須賀さんが「うれしかった」と書いていることについて、「残念でたまらなかった」と解説で書いているわけだ。何なんだこれは。まさか吉田健一と「尊敬する書き手」が別の人間だとでも思ってるんだろうか。


結局のところ、末盛さんは須賀さんのこの本をちゃんと読んでいなかったか、わかっているのに敢えてこんなことを書いたか、そのどちらかしかない。知ってて知らぬ顔で書いたのだとしたら何とも嫌なことをしたものだし、気付かずに書いたとのだしたら出版の仕事をしていたとは信じられないくらい本の読み方が雑だ。どちらにしたところで「何やってんだこの人は」って話だ。これは駄目だ。*1
「残念でたまらなかった。」って、こっちが言いたいんだが。ほんとがっかりする。
全く意外だったが、末盛さんは言葉を大切にする人ではなかったと言わざるを得ない。


『遠い朝の本たち』は1998年、須賀さんが亡くなられた年に出版された。なので後の文庫版解説の残念な文章を須賀さんが目にすることもなかった。
幸いと言うべきなのか。

でもほんとに何でこんな駄目な文章が活字になったんだろう。
情けないという印象には誇張もなくて、それが末盛さんのみでなく、文学とか出版とか言われているもの対してのがっかり感。
まあ薄っぺらいもんだ。こういうものが文学とか出版なのか。
 
 
2021 8/6追記
最近になってもう一冊『海からの贈り物』という翻訳があったことを知った。

1969年に金星堂という出版社から出た。対訳らしい。
もしかしたら末盛さんが否定的に言及したのはこっちの方だったのかもしれない、これは自分の早計だったかと一旦は思ったのだが、考えてみればそうであったとしても結局末盛さんが須賀さんの文章をちゃんと読んでちゃんと書いてたらたらああいう解説にはならないということは同じなので、ここの文章はそのままとする。
やはりがっかりだな。
文学ってのもまあ本当に全くどうしたものか。

 

  これは新訳で、須賀さんが少女の頃に読んだものとは違うが、「私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイ」というのはこの本の中の文章。1935年、アン・モロウ・リンドバーグの最初の著作。 1935年と1942年にそれぞれ翻訳が出され、時を経て2002年にこの新しい翻訳で出版された。推測だが、『遠い朝の本たち』が新訳のきっかけになったのではないか。
アン・モロウ・リンドバーグの詩人としての資質が伝わってくる一冊だと思う。
 須賀さんが少女時代に読んだアン・モロウ・リンドバーグの文章というのは『日本少国民文庫 世界名作選』に収録されていた一篇。これはその復刻版で、第二巻の中の「日本紀行」というのがそれ。
有名な翻訳者の名前が並ぶ中で深沢正策という方は聞いたことのない名前だったが、読んでみて良質で魅力的な翻訳であると感じた。本の装丁は恩地孝四郎だった。こういう人選からもこの企画の熱意が時を越えて伝わってくる。

文庫版もある。
 
『日本少国民文庫』の世界と編集者たち|山本有三記念館|三鷹市スポーツと文化財団
 

*1:わかっている上で末盛さんはこう書いているということも考えられるのだが、その場合訝しく思ってしまうのは、須賀さんの存命中であっても末盛さんはこれと同じことを書いたかということだ。こんなふうはにまず書けないよな。著者が読むとわかっていて書ける言葉じゃない。わかっていて書いたにせよ気づかずに書いたにせよ、何やってんだこの人は、という感じだ。筑摩書房の編集者も全くどこを見てたんだろう。病床の須賀さんがぎりぎりまで推敲を加えて残した最後の一冊だというのにこんな残念な解説を付けるなんて。ちゃんと仕事しとけよ本当に。