膨らまない話。

Tyurico's blog

千羽鶴と贈り物と想像力

 
善意と思えば無下に断ることもできない。受け取ったからにはそこらにほっぽっておくわけにもいかない。千羽鶴なら吊って飾るための金具やら台座やらの支度もしなきゃだろう。

向こうの手を煩わせるということは、本来すべき仕事の時間を奪うということだ。
下手すりゃウクライナという国が滅びるかもしれないという退っ引きならない時、それこそ喫緊重要の仕事がいくらでもあるだろう。
「今それどころじゃない!」ってのが大使館の人の本音ではないか。これだって外交のうちではあるから「ありがとうございます」と礼儀で答えるだろうけど。まあ全て私の想像でしかないが。
 
でもこれは日常の贈り物でも変わらないことなんで、相手を思って何かを贈るんなら「これ本当に喜んでくれるかな」っていう思慮もなけりゃまずい。これも「思い遣り」だ。

「あたしこういうの着ないんだけどな」とか「これどこに飾るんだよ」なんての普通にあるでしょ。
贈り物は善意であるが故にかえって始末に負えないということがある。捨てるに捨てられない。
 

さて、あらためてこれ書いていて思ったのだが、大げさでなく国が滅びるかもしれないって事態でしょ本当に。千羽鶴を贈るのはさすがに呑気すぎやしないか。
千羽鶴を折ってウクライナに心を寄せるというのを否定しているのではない。
このブログをウクライナ国旗のカラーにしてるのだって自己満足と言われりゃそうかもだし。でも心を寄せるんだったらむしろ自分の目に入る場所に千羽鶴を飾って常々忘れないようにする方が良かないか。
ウクライナの大使館に贈るは止したがいい。
「ありがた迷惑」って言葉を知らないか。

「想像力」とか「相手の身になって考える」という言葉の意味をよく考えるべきだ。
 
tyurico.hatenablog.com