膨らまない話。

Tyurico's blog

「道具を本来の目的外に使う」ということから考える

 
道具を本来の目的とは違った使い方をする、違った使い途を見つけるというのは、よく言えば「自由な発想ができる」ことだとも言える。(安全とかの問題は一度置いといて)
「これでもいいんじゃない?」「これ使えるんじゃないか」
だから逆に「これ以外の使い方をしちゃ駄目」と思い込みむのは考えが縛られているとも言える。
自由な発想の妨げとなるものは「こうじゃなきゃ」「これ以外にない」という縛り、囚われだ。
だからこれを一般化して「自由」の反対は「縛られていること」「囚われていること」だと言い表すこともできる。
 
また考えを一つ進める。あるいは拡げる。
「こう使ってみてもいいんだ」「別にこうじゃなくてもいいんだよ」というのは認可というか容認というか、あるいは「許し」と言ってもいい。
「それ以外を認めるということ」だ。「それ以外」を認めないという頑なな姿勢は苦しいものだ。


話をまた道具に戻すと、ただ道具というのは専用性が高いほど「道具が壊れるかもしれないし何かあったら危険だし、責任持てないから本来の目的以外には使用しないでね」というメーカーの呼び掛け、注意が強くなる。
たとえば電気炊飯器はご飯を炊くもの、電気ケトルはお湯を沸かすもの、それで調理するなんてのはメーカーからしたら想定外の使い方だったわけだが、それが広がって認知されてしまうと今度はメーカーの方がそれを商機として調理機能を付加した炊飯器やケトルを売り出すようになった。
目的外の使用から新しい道具が生まれたとも言える。

かと言って、たとえばハンマー以外の工具で物を叩くなんて使い方はやはり良くないだろうと思う。
一概には言えない。結局はケースバイケースか。