膨らまない話。

Tyurico's blog

かつて長いこと剣術の「手の内」を考えていた

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新陰流の「龍の口」という形だが、あれは「親指と人差し指を丸く開いた形になるように心掛けよ」という話なのか、「結果的にあの特徴的な形が生じる」という話なのかで全く違ってくる。
私は、「然るべき手の内だと結果的に、自ずとあの形あの見た目になる」のだろうと思っている。

剣道の一般的な教えだと、親指と人差し指の股が作るVの真ん中が竹刀の中心にくる。手を開くと手相の生命線に竹刀の柄が沿うような形。Vの字だからこれだと自然と「龍の口」の形にはなることはない。
この持ち方だと「龍の口」を作ろうと努めないとならない。だから注意が途切れればすぐに形は崩れる。(命をかけて斬り合う技芸において注意が途切れた途端に崩れる形というのは疑問だと言わざるを得ない。)
 
私は、柄を図のライン辺りで持つことで自然と「龍の口」の形を成すのだと考えている。
またこの形で握ると薬指と小指が柄に対してほぼ直角になり、指と柄との間に隙間が生まれずしっかり締めることができる。緩むことがない。

 


なんで「手の内」のことを考え始めたかと言えば(当時はそういう言葉があることも知らなくてずっと後に「手の内」という言葉を知ったのだが)、合気道の剣術を習っていてどうもしっくりこないものがあったからだ。まあそもそも剣の持ち方をちゃんと教えてもらったことはなくて、みんな見様見真似だった。

剣は五本の指全部を強く締めるのではない、斬り下ろしたとき薬指と小指を締めるという教えだったが、薬指と小指にしっかり力が入る感じが得られなかった。しっくりこない。(当時の持ち方では柄に対して薬指と小指が斜めになっていたからいくら意識しようがしっかり締めようもない。)
しばらく後に剣の握りのことを「手の内」と呼ぶことを知った。
「手の内を明かす」という言葉がある。だったら「手の内」には大事、秘すべき大事があるのかもしれないと思って模索を始めたのだった。

そして今と違って当時はネットで検索しても「手の内」について語っているものはほとんど見られなかったので、剣術と剣道では結構違うことはわかっていたが、仕方なく「手の内」について特集している剣道の雑誌のバックナンバーを見つけて買ってみたのだった。

その中の七五三掛(しめかけ)先生という方は新陰流もやっておられて、その方の教えが手掛かりになって自分の持ち方が形になっていった。
 
更にそれからずっと後に『柳生新陰流を学ぶ 江戸武士の身体操作』という本が出て、それで初めて「龍の口」というのを知り、どうも私のやっているのはこれみたいだと見当がついた。



「手の内」は明確に教えられるものか、教えられないものかと問われれば、明確に教えられるものだと私は思っている。稽古を通じてそれぞれ自得するしかないようなものではなく、見せて説明すればすぐに分かるものだと思う。しかしあれは傍目でちょっと見たくらいで違いに気づけるようなものでもない。
稽古を通して次第に自ずと身につくものかと問われれば、何も知らずに長年やっていても期待できないと思う。私は疑問を抱いて、これだと思うものに行きつくまで散々試して散々調べたが、それでももし手掛かりに行き会わなければ結局分からないままだっただろう。
 
剣術は両の手で長い刀を把持して動かすわけだから、その分動きに制約がかかる。
しかし「手の内」次第で制約はかからないで自由に動くことができる。「手の内」がちゃんとしてると両手でしっかり握ったままの状態でも様々な体勢を作れる。握りを緩めたり少し持ち直したりがない。剣を両手で持つことによって体や動きが縛られることはない。
例えば、中段から手首を返して刃を上に向け斬り上げる動きにおいて、それで体勢が崩れるとか、あるいはそれを防ぐために少し握り直すとかがない。
様々な態勢は実は基本のセイガンを変形するだけのことというか、構えは実は全て同じものと言えるのではないかと私は思っている。