膨らまない話。

Tyurico's blog

京都アニメーション放火事件の裁判員の心労とかトラウマとかを考えてしまう

 
なぜ裁判員制度は殺人とか悲惨な事件ばかりを担当させるのかと前々から私は疑問に思っている。
国民を裁判に参加させるのが目的なら何も人の命が無残に奪われた事件じゃなくても、ハードな事件じゃなくてもいいじゃないか。
この事件の裁判員として選ばれた人たちは裁判でのやり取りが一生記憶から消えないと思う。それは非常に重くしんどいものだろう。
なぜ素人、一般市民がそれを背負わされるのかと思う。

もし自分だったら、精神に大きなダメージがずっと残るだろうと容易に想像がつく。精神的な後遺症だ。はっきり言って私はやりたくない。もし殺人事件などの裁判員が回ってきてしまったら断ることを考える。
 
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