膨らまない話。

Tyurico's blog

むかし合気道を習ってた頃の考察が結構ちゃんとしてたんであらためて整理して書いてみる

合気道素手の技だけでなく剣術というのもあって木刀を使った稽古もする。しない所もあるんだけど。
その剣術で後方に反転しつつ振り上げて斬り下ろす、というのがある。四方切りとか。

後方への反転と剣の振り上げ斬り下ろしという別の二つの動作があると考えてみて、これを同時にスムーズに行うのはそう簡単ではない。
私が習ってたところは見よう見真似で覚えるやり方で先生から特に説明はなかった。また小さいグループで先輩も少なかった。
 
この時、「稽古をひたすら何度も繰り返すことで別の二つの動作は次第に同調していく」と考えるのがたぶん普通のことなのだろうが、やがて疑問が生じて私は別の考え方をするようになった。

「もしかしたら二つが自然と連動するような動き方があるんじゃないか」と。
だって元々は真剣を握った生きるか死ぬかの斬り合いから来てるんだからそこには冷徹な合理性というか必然性というか何かあるんじゃないかと考えた。やがてそのうちに身に付く、なんて悠長なことはやってられないはずだ。

で、いろいろ模索を続けた結果、二つの動きは自然に連動することがわかった。然るべき構えになっていれば自然と連動して、どうこうしようの考えなしに反転すれば腕は自ずと頭上に運ばれるのだった。
思うに要諦は「半身」と「手の内」にあって、これがなっていれば自ずとそのように動ける。
実によくできてる。
 
この話をもっと一般化すると、意識して努めてそういう動きになるのか、人体の構造や生理などの自然必然の結果としてそういう動きになるのか、という相違だと表現できる。
そう動こうと意識してそうなるんじゃなくて、自然とそういう動きになる。あるいは、何度も繰り返しているうちにやりにくい動作にも慣れていくだろうという考えと、そもそもそれが自然でやりやすい動作があるんじゃないかという考え。合気道、武道に限らずスポーツにも当てはまる話かと思われる。

そしてもしそこを見誤っていたら熱心に何年取り組んでいたって得られるものがあるか難しい。目指す方向が外れてるんだから。
実際こういうことに、たったこれだけのことに自分で気付くまで何年かかったことだろうか。5年以上か、いや10年に近いか。
 
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