多様性を尊重しよう、多様な価値があることを認めよう、っていうのはもう近年では疑問を抱くことも許されないような考え方だと思うが、その中に宗教まで含んだ場合はどうだろう。(数年後に読み返して考えると、多様性を認めない国や文化も少なくないというか勢力を増しているような。)
宗教というものは徹底すればそもそも多様な価値の併存を許さないものだと考えられ、もし多様な価値が等しく存在することを認めたなら実のところそれは宗教としてはもう終わってしまうんじゃないだろうか。突きつめれば共存することのできない文字通り不倶戴天の在り方だ。
「彼らの信仰も尊重しましょう」という寛容な姿勢は、別様に言うなら「そういう程度の低い土着の考え方もやっぱり尊重してあげないといけないよね」というような余裕をかましたゆるい態度であって、自分たちの信仰の絶対性において行動する人たちにとってそのような態度は信仰の形骸ですらなく全く意味が無いものだろう。
話にもならない。
世の宗教が「世の中には私たちとは違った宗教が色々あります。考え方はそれぞれです。正否や優劣というものはありません。ですから違いは問わず否定せず皆仲良くしましょう。」っていう前提を掲げるというのはほとんど考えられないことだし、まったく厄介な話だ。
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