膨らまない話。

Tyurico's blog

記事メモ 惣領冬実先生の卓見

 
fuyumis.com
 

台湾の制作者サイドから編集部を通じてオファーがきた際、監督のツァイ・ユエシュン氏が原作のファンであり原作に忠実に創りたいと仰っていると聞き、もちろんこれは社交辞令にすぎないと半信半疑で承諾したのですが、蓋を開けてみれば本当に原作に忠実に創られていて逆に驚かされました。
そういった経緯があったため同じ作品が日本で作られた場合どうなるのか確かめてみたかったのですが、結果は想像通り原作とは別物と言うほかない仕上りとなっていました。想定内とは言え台本に修正を入れるたび、何故私の作品を実写化しようとしたのか謎に思うこともありましたが、それでも制作サイドの誠意は伝わってきましたし、演者の皆さんは本当に頑張っておられたと思います。
これは仕方のないことで台湾版とは予算も時間も掛け方が違うため、キャラクターや背景描写の解像度が極端に低くなり、それを補うために演者の俳優やタレントの人気に頼るしかない作りになっている…と言うか、その逆で演者のために用意されたドラマという表現の方が本当は正しいのかもしれません。
台湾の制作サイドが原作のリスペクトから始まっているのに対して、日本テレビサイドはまず芸能事務所の俳優、タレントの存在ありきで、それに適した原作を素材として引用しているだけのように私には感じられました。

そういった商業ベースはさておき、本題は今回の実写化に対して原作者である芦原さんが原作に忠実であることを望んでいたことであり、その拘りをテレビ局が承諾したことに大きな問題があると思います。
原作者の芦原さんがどれだけ切実であったかということを、日本テレビ小学館、脚本家の誰もが理解していなかった、もしくは理解する気がなかったということでしょうか。

また「脚本家もオリジナルをやりたいんです」とその苦しい胸の内を吐露しておられましたが、それは漫画家も同じです。
最初から自由に描かせてもらえる漫画家はそうはいません。デビュー当初はまず編集から万人に受けるようにエンタメ要素を織り込んだものを要求されますし、スポーツ物サスペンス物、当たりがくるまで様々な要求が編集部から突き付けられます。少女漫画においては恋愛要素は絶対で、それは主な読者である十代の女の子の共感を得るのに一番有効なテーマだからです。当然プロットから始まり編集会議にかけられ、そういった経緯を経て連載枠を獲得しアンケートで順位を付けられながら読者の顔色を窺い担当編集の顔色を窺い支持を得て、その人気の度合いで編集部が作家性を認め、そこからようやく自分の本当に描きたい物、まさにオリジナルがやれるようになるのです。