膨らまない話。

Tyurico's blog

ブログも書き続けていたらやはりそれなりに文章が上達した。

いや、多くの人に訴える文章、ハイレベルな名文が書けるようになったとかではないけれど。
 
だがおおよそ、自分の言いたいことを過不足の無い文章で表現できるようにはなったと思う。
私にはそれで十分だ。
 

ラジオの音楽番組でピーター・バラカンさんが意外に思えることを語っていた。

ピーター・バラカンさんが今月の放送で、1968年のデズモンド・デッカーのヒット曲、Israelites を流してから当時のイギリスを思い出して以下のように語っていたのが意外で印象に残った。(当時の些細な話というのは些細なことだけにほとんどは後に残らない。それゆえにむしろ実はけっこう大事なものだと思う。録音しといたものをほぼ言葉通りに文字に起こした。一部ゲストの受け答えがあったが内容に影響しないので省略した。)
 

この曲もね、ラジオで当時もう毎日のようにかかってて、まったく何を歌っているかがわからない(笑い)。あまりにも訛り、訛りっていうかあれはいわゆるクレオール語みたいなもので。
 
でもね当時、ラジオでもうほんと毎日のようにかかってたから、脳裏に焼き付いているんだけど、嫌いっていうかねあの、音楽が嫌いじゃなくてね、ジャマイカの音楽を一番好んで聴いていたのがねスキンヘッズだったんで、当時のイギリスでは。
それはけっこう怖い方々、もうめちゃくちゃ怖いです。僕みたいに長髪でまあちょっとややヒッピーっぽい恰好をしていた人間は、彼らはもう目の敵にしてるからね。で、家に地下鉄の駅からバスで帰ってくるんだけど、バス停の真ん前にね、安いハンバーガー屋があったんですよ。
そのハンバーガー屋にもうスキンヘッズがいつも一杯たむろしていて、バスを降りるのが怖くてね。

 
これがその曲。 Israelites
イスラエルちゃん」なんて変な邦題にされてしまったが、このヒット曲は日本でも発売された。でも歌詞の内容は、朝から奴隷のように働いて、それなのに女房子供は出て行っちまった、ああ俺は哀れな、っていうようなの。

Desmond Dekker & The Aces - "Israelites" (Official Audio)
 

デズモンド・デッカーはジャマイカンだから、もちろんイギリスの英語とは違ってるんだろうが、それにしても英語ネイティブのバラカンさんが当時デッカーの歌を聞き取れなかったと語っていたのは私には全く意外なことだった。英語を母語として話す人間でもわからなかったのか。*1 *2
また、「スキンヘッズ」って言葉とか写真とか知ってはいたんだけど、当時のリアルな感覚、体験として話が聞けたのは貴重だった。やっぱ怖い連中だったんだ。 
 
あと、昔バラカンさんも長髪だったということも今となっては結構意外な事実。
 
 

The Best of Desmond Dekker

The Best of Desmond Dekker

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tyurico.hatenablog.com

 
 

*1:それでも「パトワ」というほどには崩れてないと思うのだが。

*2:後で調べてみたら、Wikipedia にも Although few could understand all the lyrics, the single was the first UK reggae number one、歌詞を全て理解できる人はほとんどいなかったにもかかわらずこの曲は英国で云々、と書いてあった。やはりそうなのか。

落合恵子の思い上がりが度し難い

最近あるブログでこんな文章を読んだ。

しかし、本書には一つ、重大な欠陥があります。
 
 それはロビン・ノーウッドに責任があるのではなく、本書の訳者・落合恵子氏に責任がある。
 
 本書の随所に訳者・落合恵子氏による「訳注」が、本文に直接挿入する形でつけられているのですが、これが実際には「訳注」ではなく、落合氏の意見なんです。
 
 要するにノーウッド氏の本文を翻訳しているうちにエキサイトしてしまったのか、落合恵子さんが勝手に自分の見解を付け加えたり、逆に「こういう書き方は気に入らないと言っておこう」とか言って批判したりするわけ。
 
 そんな、自分の意見だの本書に対する批判を本文に挿入する形で勝手にくっつけるなんて、翻訳者の分を越えた非常識な行為であって、断じて許されるものではございません。また、もし翻訳者がそういう愚行に出たとしたら、編集者は体を張ってでも止めなくてはならない。
 
 あ、あとついでに指摘しておきますが、本書巻末の「あとがき」の中で、本書のペーパーバック版の版元が「Simon & Solueten」社であると記してありますが、こんな名前の出版社は存在しません。それを言うなら「Simon & Schuster」ね。あと、本書のサブタイトルの原語は「When you keep wishing and hoping, he'll change」ではなく、「When You Keep Wishing and Hoping He'll Change」です。カンマなんてついてない。「He'll Change」は「Wishing and Hoping」の目的節だからね。どちらも、ちょっと確認すれば誤りを防げるはずなのに。
 
 色々な意味で、レモンちゃん(昭和生まれなら知っている、落合恵子氏のあだ名)と、この本の編集者には猛省を促しておきましょう。
 

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まさに「分を越えた」「非常識な」「愚行」。

思った通り、やっぱり落合恵子は他の翻訳でもこんなことをやっていたか。訳者あとがきに書くとかじゃなくて本文のページに直に自分の意見を挿入したと。やることが全くまともじゃない。とんだ思い上がりだ。

他人の著作の中でも自分の主張を言わずにはいられないような人間。そのような愚行を愚行と思わない人間、自分の正義を疑うことのない人間。
 
やっぱり落合は著者よりも自分の方が偉いとでも思っているんじゃないのか。全く以て図々しい。
ほんとに度し難いな。
 
 
d.hatena.ne.jp
 
 

 

 

伝説の武道家と濡れ手ぬぐい

武田惣角という伝説的な武道家がいた。
 
惣角は幕末安政6年の生まれ、合気道のルーツである大東流合気柔術の達人で、「伝説の武道家」なんて書いたが、惣角は昭和まで存命していたからその武勇伝などはいろいろと伝えられているし写真だってけっこう残っている。だから不確かな存在なんかではない。
 
とはいえやはり「それ本当か?」って思うような話もあり、その中に、惣角は濡らした手ぬぐい一本で相手の骨を折った、みたいな話がある。ネット上でも見かける。
 
それを読んで昔、戯れに濡らした手ぬぐいを振り回してみたことがあるのだが、「さすがにこれは無理だろ」という感想に終わった。
 
しかし今夏猛暑の折りにクーラーが故障して、対策に手ぬぐいを濡らして首から掛けたりするようになり、ふと思いついて半分に折った濡れ手ぬぐいで反対側の腕を打ってみたころ、これがかなり強い衝撃になった。痛い。
 
濡れ手ぬぐいを長いまま振るのではなく、二つ折りにして振ってみるとこれが大違いなのだった。
いや素人でこれなら、達人は本当に濡れ手ぬぐいで骨をも砕いたかもしれない。
何でも試してみるもんだ。

たぶん惣角も二つ折りにした手ぬぐいを使ったんじゃないかな。 
 
 

 

仕事や部活なんかでの「わかったか?」というデカイ声に対しては、

「いえ、わかりません」なんてとてもじゃないが言えないという困った話。
 
あれ、向こうは何を確認したいんだろうか。理解の確認だとは言い難い。
服従の確認?
 
たぶん、何一つ生み出さない問いだな。