膨らまない話。

Tyurico's blog

『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』を読んだ。

 
日本兵捕虜が建設に携わったオペラハウスがウズベキスタンにあって、それが大地震にも揺るがず残った、というのがこの本の一番の掴みなのだが、意地悪な見方をすれば、大地震に耐えることができたのは、日本兵の手を抜かない仕事ぶりもあっただろうが、やはり一番はロシア人設計者の手柄だろう。
なにせ当時のソビエト連邦で屈指の劇場を建てようという計画だったわけだから、まず設計がしっかりしていたのに違いない。

あと、日本兵が現地に連れられて来たときは既にかなりの部分は出来上がっていたという別の証言もあるようで、なんにしてもこの本を読むときは安易な「日本すげーぜ」にならないよう注意する必要はある。
 
でも日本兵たちがその仕事ぶりによってウズベキスタン人やソビエト兵らの信頼や好印象を得ていったのは本当なんだろうと読んでて思った。
リーダーの永田大尉という人は24歳という若さなのにずいぶん出来た人と見え、また幸いに収容所所長も頭が良く話のわかる人だったようだ。
それで苦労しながらも作業の合間に楽器を作って演奏したり歌ったりするようにもなり、とうとう歌や芝居の演芸会を開いて地元の人も招いたりしたんだとか。演目にはソビエト兵の合唱なんかもあった。

食事は乏しかったとはいえ、労働は8時間で昼に1時間の休憩。週一の休日。思ったよりホワイト。
事故で二名の死者が出たが衰弱や病気ではなかった。それで450名以上が生きて帰ることができた。
永田大尉は全員の名前と連絡先を暗記しておいて、最後に自分が日本に戻るとすぐにそれを紙に書き出して、全員に手紙を送って連絡を取り、「第四ラーゲル会」という交流会を2010年まで続けたのだそうだ。永田大尉すごいな。

著者の嶌さんのブログを読むと、俺たちが収容されてたラーゲリは極楽ラーゲリだったんだな、というような言葉も出てくる。
 
私はおじいさんの抑留の話を思い出しながら読んだ。
 

 
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