全国の長距離トラックが集まる「一休食堂 」のインタビューから
玉袋
(前略) でもこの店だったら、これだけ愛されてるから、経営危機なんてないでしょ。
三代目
ありますよ……、今が一番厳しいかもしれないですね。運転手さん自身が厳しいですからね。仕事がないって言ってますよ……。燃料も高騰ですからね。
玉袋
そうか。今はどこもそうなんですね。ほんと、日曜日の高速千円なんてのも、あれ日曜日じゃ駄目だわ。平日の事業者の為に、なんとかしてほしいですよね。
三代目
とにかく運賃自体が凄く下がってるらしいんですよ、五~六年前から。そのあたりもなんかしてやらないと、運送業界はかなり厳しくなりますよ。
玉袋
政治屋は分かってねえな、なんだかんだ言ったって。こういうとこの声を聞いてないかもしれないよ。うわっつらだけで土日優遇してな。物流ってのは日本の血液だから、その血液が滞っちゃったら、駄目だよな。
三代目
ほんとに、今年に入ってからは、さらに厳しいなんて言ってますよ。
この本が出たのが2010年の4月だ。
運送業界がいっぱいいっぱいで大変だって話が13年も前の本にあるわけだ。
政治家も役人もマスコミも遅すぎないか?
「政治屋は分かってねえな」
小人マジシャンのマメ山田さんの話。
マメ 小学校のときは、70数センチだったんだよ。小さいからランドセルが合わないって田舎でランドセルをあつらえて、プレゼントに持って来てくれたの。体にぴったり合うから嬉しくてね。背負って部屋の中走りまわってたんだよ。それで入学式があって、教科書もらったら、ランドセルに入らないの(笑)。誰も気がつかなかったんだよ(笑い)。
病院の待合室で吹き出してしまった。
高円寺のスナック ホワイトハウスのマスターのインタビューから。マスターはポール牧さんのマネージャーを一時やってたからポールさんの話も多い。
玉袋 オレ行ったんですよ。オレ達浅草キッドは、ポールさんから「息子、息子」って可愛がられて、っていうのも、ちょうどポールさんが「指パッチン」で再ブレイクしたころ、うちの相棒の博士がポールさんと一緒に北海道のロケに行ったんですよ。一泊だったらしいんですけど、その日、ポールさんに凄く可愛がってもらったらしくて、一緒にお風呂入って背中流したりして、ポールさんのチンポコの真珠見てさ、「ポールのポールにパールが入ってる」なんて言ってさ(笑)。
これにも笑った。
マスター 俺は昭和38年ごろから、上野の「赤と黒」っていうトリスバーで
バイトしてたのよ。トリスバーってのはバーテンだけで、カウンターだけなの。そこはけっこう有名な店で、凄く流行ったんだけど、そこをやってるときに、 お前、店やってみないか」って俺にスポンサーがついたのよ。玉袋 それはマスターがいくつのときですか。
マスター 学校終わったころだから、23~24歳ぐらいのときかな。
玉袋 えっ!? のっけから水商売に飛び込んだんですか。
マスター とりあえずやったわけ。それで、上野小路で「宝石」っていうスナックを作ったの。ただ、当時はスナックって言葉がなかったの。『小さなスナック』*1ってのは、そのちょっとあとに流行ったのね。なぜそうなったかというと、昭和39年に東京オリンピックをやるにあたって、それまでの東京はバーでも喫茶店でも24時間営業して良かったんだけど、深夜営業を禁止するという禁止条例が出て、食事を出しているレストラン系統だけ夜中やっていいということになったの。そうすると、(夜中)やるにあたっては、お茶漬けだとかなにか出さないといけない。それがスナックの走りだったの。
玉袋 なるほど~、要するに法の網目を縫う為にそういうことをやってたんだ。知られざるスナック誕生秘話ですよ!
なるほど、形だけでも食事を出さなきゃいけないと。逆にとにかく何か出しときゃ言い訳は立つと。
*1:『小さなスナック』(松竹・1968年) スナックを舞台にした映画。パープル・シャドウズが歌う同タイトルの歌もヒットした。