橋本さんによる「あとがき」から
この対談の初めに「日本語のでき方はこうこうしかじかで、その結果、今の正しく美しい日本語があります」という一つの正解には賛同できないと言ってしまっているのがそこで、明治の言文一致体から現代の口語文はできあがって、それでおしまいという考え方が私はできません。
どうも、橋爪さんの目から見ると、日本は「しょうもない混沌のかたまり」のようで、結果私は、混沌の日本の側に立って、「無秩序なんですけど、外から見て無秩序と思われるものでも、それなりの秩序は存在してるんじゃないでしょうか」と言い続けていたみたいです。
これは対談の最後の方のやりとり。ここの橋本さんの「嫌です……。」がこの本で一番印象に残ったところ。
橋本 いちばんすごいのが、「自分」ですよね。自分自身のことも指すし、相手自身のことも指す。
橋爪 理想としては、一人称は「われ」、二人称は「なれ」、三人称は「それ」、不定称は「だれ」に統一して、新しい日本語として、学校で教えるべきだと私は思うのです。
橋本 それやると日本語が汚くなって難しくなるから嫌です……。橋爪 でも、中国語ではできたのだから。単純な、ベーシック・ジャパニーズをつくりたい。
どう見ても橋本さんと橋爪さんは趣味というかセンスというか志向というか態度というか、そういうものが全然違う人間だよな。
「でも、中国語ではできたのだから。単純な、ベーシック・ジャパニーズをつくりたい。」こういう考え方の人間が橋本さんと対談することにそもそも無理がある。
橋爪さんのことはあまり知らないが、「~でなければならない」という考えの人間だと見た。