膨らまない話。

Tyurico's blog

食器棚の地震対策をしたのだけれど

食器棚の地震対策を念入りにした。

そもそも転倒の心配が無いように低めの食器棚にしているのだが、その上に扉にはストッパー、棚板と扉の間の隙間が大きいからそこから落ちるなと思って棚板を大きい物に入れ替え、更に棚板の前端にはL型の木材を落下防止に貼った。
 
さてここまでして気づいたのだが、そこまで念入りな対策で押さえ込まなきゃならない程の強い揺れだったら、たぶん家屋の方に損傷が出ている。
食器棚じゃ済まない。

本末転倒というか、細かい工夫に執心で根本の目的を見失っているというか。
 
やってたらなんか面白くなっちゃったんですよね。
 

翻訳がひどい落合恵子の『海からの贈りもの』は絶版になったみたいだ

 
d.hatena.ne.jp
落合恵子が翻訳した『海からの贈りもの』が「新刊在庫なし」の状態になってもう結構な時間が経つ。2年は過ぎたかと思う。電子版も出てない。
これはもう事実上の絶版と言ってもいいか。
 
『海からの贈りもの』 | 学研出版サイト
  
こう考えるのは、あの本は1994年から20年以上売られていたロングセラーだったからなんで、そういう本を出版社が品切れのまま長く放っておくというのは商売的にちょっと考えにくい。
あの翻訳への批判に対して「翻訳に大きな問題はありません」と自信を持って言えるのなら出版社はこれまでと変わらず堂々と版を重ねればいいわけで、それができないのだとすれば「さすがにこれは正当化できない」と認めたようなものだ。

もちろん出版社も落合も本当の理由を言うことはないだろう。そうして翻訳の問題には何も触れず明確に絶版とも言わずサイトからも消さず、あくまで「現在は品切れ」という体裁でうやむやにしておこうという腹なのかもしれない。
 
今後もこの状態が続くかどうかだが、何食わぬ顔でまたそのうち再版を出すという可能性もないとは言えない。いや事実あんな恥ずべき「翻訳」を長く世に出してたんだからそういう図々しさは十分あり得る。
あるいはまた、例えば有名人がメディアで紹介したりして注目が集まってこれはもう再販しなきゃなんてことだって考えられるが、でもその場合は当然私の批判にもこれまで以上に目がとまるだろうからそれはそれで悪くない。むしろ面白い。
いやほんと誰か影響力の大きい女性有名人なんかが「私の愛読書」とか言って紹介しないかな。してもらいたいな。
 
まあ版元の学研と落合は私の批判を知っているという前提でこれを書いてますが。
ただ絶版とかは実は私にはどうでもいいことなんで、それよりも落合恵子は今後もう二度と『海からの贈りもの』とアン・モロウ・リンドバーグについて語ることはないだろう、その名を口にすることもできないだろうと思うと気分が清々する。
  
あと「落合恵子さんの翻訳が素晴らしい」とか「落合恵子訳と吉田健一訳、翻訳というのは訳者それぞれで好みの問題」とか言ってる寝ぼけた人たち、自分の読書に本当に意味があるのか一度よく考えてもらいたい。冷水で面を洗って。

煽りとかじゃなくてこれは本気で言ってるんで。
 
 
tyurico.hatenablog.com
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不法移民を本当に減らすには

 
不法移民は要するに「自分の国じゃ到底やっていけない」と思うからより豊かで安全な国を目指してやって来る。
 
だったら根本的な対策は、彼らの故国をより豊かで安全な国にしていくこと以外に無い。
壁を築いたり摘発したりの対処よりも、相手国と協力しながら長期的な援助をしていく。
これしかないと思われるのだが。
 
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「人間も動物だ」なんて言えるのは逆に

女の連れ子が一緒に暮らしている男に虐待されて死亡する事件のニュースを聞くと、動物のオスがメスの連れている他のオスの子を邪魔だと殺してしまう行動を思い出す。

人間も動物だ。人間も動物であるからそれもまた自然で仕方ないことであるか。
 
だが「人間も動物だ」なんて自己認識を持てるのだから、やはり人間と動物を同じに論ずるわけにはいかない。
もちろん人間だって動物だ。だが「人間も動物だ」なんてことを言える点で既に動物と同じではないのもまた明白な事だ。

生来已む無しと言えど、人がしてはならないことだ。
そういうものだとしても、そうあるべきではない。
 
人間も動物だ - Google 検索
 

世界的な投資家の経済予測って

ああいう人間は常に自分の利益が最大になるように行動するわけだから、発言だって何らかの思惑とか目論見があってのことと考えるべきで、ニュートラルな分析のはずがない。
人を唆す言葉だ。

鵜呑みにすべきではない。