膨らまない話。

Tyurico's blog

命の危険を冒してまで移民が大挙して遠い異国に押し寄せて来るということは、

 
彼らが「自分の国では満足に暮していける望みが到底ない、行けるんだったら手を尽くしてなんとしてでも他所の豊かで安全な国に行った方がいい」と考えているということだろう。

それで、「彼らはそこまで追い込まれているのだ」と考えることもできる。
だからそれに対して、「窮状にある彼らを当然のこと受け入れるべきだ」という考えが出てくるのもまあわかる。


しかしそれでもその殆どの人たちは、「でもそりゃ自分の生まれ育った国で満足に暮らしていけるんだったらもちろんそれが何よりだよ」と言うんじゃないかと思う。
だとしたら、緊急的援助はともかく、最終的には彼らが生れ育った本国で満足に暮らしていけるような形を目指して長期的な姿勢で支援していくというのが一番なのではないか。
 
人道的な人々が「彼らは今まさに窮状にあえいでいるのだ」、「危急の受け入れをしろ」といって有無を言わさぬ姿勢で迫ってくる。
しかしそもそも、「なぜ人が自分の生れ育った国で満足に暮らしていくことができないのか」という問いに発する根本的な対応もあるべきではないのか。
 
考えてみれば、大勢の人たちが自分の生まれ育った国で満足に暮らしていけずに逃れ出ていくというのは本来全く有り得べからざる異常な事態なのであって、これこそが一番の問題だと思うのだが。
 

しかし「豊かな国に行きたい」とか選り好みしてる時点で「命からがら逃げてきた」の窮状とは違うんだよな。