膨らまない話。

Tyurico's blog

アン・モロウ・リンドバーグと日本 『翼よ、北に』

 
2002年刊 『翼よ、北に』 中村妙子訳

 小さいころ、日本から帰った知人からお土産をもらったことがある。それはビロードのような感触の白い紙に包まれた箱で、紅白の紙の紐が結ばれ、その蝶結びのつくる弧の下に小さな赤い扇のような飾り(熨斗)が貼ってあった。包み紙と紐を取り去ると、栗の殻のようにすべすべした、やわらかい手ざわりの木の箱が現れる。絹に似た感触の、その木の箱にはどっしりした絹の打ち紐がかたく結ばれていた。箱の蓋を取ろうとすると木の肌のこすれ合う溜め息のような低い音がする。中には見たこともないほど、うつくしい人形が納められていた。
 人形そのものがどんなだったか、今でははっきり思い出せないのだが、その紙をたたみ、紐と扇と人形をその箱の中にいっしょにしまったことを覚えている。そうしたすべてがわたしにとって、中の人形と同じくらいうつくしく、大切に思われたのだったから。

「その紙をたたみ、紐と扇と人形をその箱の中にいっしょにしまった」、この訳はたぶんちょっと違う。原文を読んでみると箱にしまったのは紙と紐と熨斗で、人形は箱にしまっていないと思う。人形まで一緒にしまっちゃったらおかしい。
 
昭和11年刊 『日本少国民文庫 世界名作選(二) 』
日本紀行」深沢正策訳

 私が日本を初めて飛行機で訪問してから余程あとになってからですが、この昔の贈物のことを再び思い出しました。子供の時私を喜ばせたのと同じ性質の特色が、私が日本で受けた数々の印象を黄金の糸のごとく貫き、そしてそれらをいっしょに結びつけています ― その特性を私は解剖してみたくなりました。
 なぜかと言えば、そのほかにも日本人にはたくさんの嘆賞すべき美しい特質がありますが、私が最も羨ましいのは、この特性だからであります。すべての日本人の中には、芸術家が住んでいます。博物館、美術館に蔵されている貴重品だけでなく、最も手軽なキモノ、筆で書いた看板の字、雨の日の街頭に咲く番傘や蛇の目傘、日常の食器 ― あらゆるものに、その芸術家の手の触れたあとが見えます。生命を包む紙や水引にいたるまで、その手によって形を変えたのであると私はさとりました。

「生命を包む」だと意味が取れない。中村訳はここを「日常生活のうちの紙と紐」と訳している。その辺りだと思われる。
訳者の深沢正策という名前は存じ上げないが総じて良質な翻訳であるという印象を受けた。収録されている「日本紀行」は、1935年(昭和10年)に刊行された『北方への旅』からの抜粋。原著 North to the Orient 刊行の同年に早くも邦訳が出されているわけで、1931年のリンドバーグ夫妻の日本滞在は当時非常に大きなニュースだったことが想像される。
 
1935年刊 North to the Orient

When I was a little girl I had a present brought me from japan. The box was done up in white velvetry paper and tied with a red and white paper string. Under the neat angles of the bow was a gay paper decoration like a small red fan. When I took off the paper and string I found a wooden box, soft and smooth as a chestnut shell. Around the silken wood was a heavy silk cord firmly fastened. The lid of the box opened with a sigh as wood brushed wood gently passing, and revealed the most exquisite doll I had ever seen. I cannot remember her how but I remember folding up the paper, the string, the fan, and the cord and tucking them all inside the box to keep forever.They seemed to me just as beautiful and precious as the doll herself.

 Long afterward on my first flying visit to Japan I thought of this present. The same quality which had delighted me as a child ran like golden thread through our many impressions and linked them together―a quality which I tried to analyze. For although there were many other characteristics of Japanese that might be as admirable, this was the one I envied most. In every Japanese there was an artist. His touch was everywhere, not only in the treasures of his museum but in his simplest kimono, in the signs his brush made writing, in the blue and red parasols that blossomed in the street on rainy days, in the most everyday dishes for his food. I began to realize that even the "paper and string" of life was transformed by his touch.

 
1994年刊 『遠い朝の本たち』 須賀敦子
須賀さんは1929年生まれ、『『日本少国民文庫 世界名作選』が出たのは1936年だから7歳あたりか。

 そんな宝物のなかには、たしか少国民全集といったシリーズの本があって(おそらくは当局の目をくらますためにつけられたこの全集の「軍国的」な名とはうらはらに、そこには絢爛豪華という表現がふさわしい、さまざまな古今東西の名篇があつめられていて、どこにでもあった「お国のためになる子を育てる」式のあさはかなアンソロジーとはあざやかに一線を画していた。戦争中の殺伐な日々に、声をとがらせて命令しつづける横暴な軍部から日本の子供たちとこの国の文化を守ろうとして、あんなにすてきな本をつくった何人かの勇敢な選者、編集者たちを讃え、彼らに感謝したい。)、その一冊に、私がこれから書こうとしているアン・モロウ・リンドバーグのエッセイがふくまれていた。
 当時、中学生になったばかりの私はその文章に心をうばわれ、あまり何度もそれについて考えたので、著者があの短い期間に日本で経験したことどもを、まるで自分が生きてしまったようにさえ思える。私の精神が歩いてきた道を辿りなおすことが可能なら、あのエッセイはその大切な部分に、上等な素材でつくった芯のようにしっかり残っているはずだ。

「さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々を守っている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとで再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」

『海からの贈物』というその本は、現在も文庫本で手軽に読むことができるから、私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイの話よりは、ずっと現実味がある。手にとったとき、吉田健一訳と知って、私はちょっと意外な気がしたが、尊敬する書き手があとがきでアンの著作を賞賛していて、私はうれしかった。

しかし今回改めて確認したところ、「日本紀行」にはなんと「サヨナラ」の文章が入ってなかった。須賀さんの紹介で多くの人に知られるようになったあの「サヨナラ」。ない、何度見てもない。いや私も勘違いしていたが、須賀さんは『日本少国民文庫』で「サヨナラ」を読んだと記憶していたのだが実際はおそらく『北方への旅』の方で読んだのだろう。
『遠い朝の本たち』は1994年、須賀さんの最後の著作。『日本少国民文庫 』の復刊が1998年、『翼よ、北に』は2002年の刊行であるので、須賀さんは遠い日の記憶だけを頼りに書いている。むしろ記憶違いがあるのが当然というものだ。

 

画面の左の隅に雨に打たれて羽毛を逆立てている鳥の姿があり、草むら、そして花の咲いている野草が添えられていた。画面の余白には何も描かれていなかったが、それは空虚ではなかった。わたしは逆にその空間こそ、この絵のもっとも重要な部分だという印象をもった。ちょうど会話の途中にはさまる沈黙のひとときがかえって圧倒的な力を感じさせ、言葉が対照的に弱々しく響くことがあるように。漆黒の闇のはらむ豊かさの前に、星々がむしろ背景の働きしかしないように。
 その絵の中では小鳥と草は、ある意味ではこの空間のせいで小さく見えはするが、同時にまたそのためにひときわ鮮やかに浮かび出ている。空間によっていわば洗われて、かえって活き活きと独自の存在を際立たせ、静かな光をおびているのだった。おそらく日本人は自然の中のすべてを、このような寂光のうちに見ているのだろう。それだからこそ、すべてのうちに美を見出しているのだろう。

これも『翼よ、北に』の文章なのだが、これを20年後に書かれた『海からの贈物』のなかに置いたとしても全く違和感がない。
 
『海からの贈物』では、簡素な暮らしの重要さや、「断続性」― 人の世のものごとは変わらず永続することはない ― ということが説かれていて、それらは日本人読者にとってはむしろ理解しやすく、東洋的というか日本的なものを感じる考え方であると言えるだろうが、そういったものは彼女の最初の著作に既にはっきりと現れていたものだった。

  
wombatstew.exblog.jp
 
須賀敦子の心を奪ったアン・M・リンドバーグの文章 阪急沿線文学散歩
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