膨らまない話。

Tyurico's blog

日本人がお米を心置きなく食べられるようになって多分100年も経ってない

 
ちょっと前、料理マンガを読んでてちょっと引っ掛かるところがあったのでお米について調べ直した。『おせん』の第6巻。
そこでは、ササニシキがほとんど消えてしまって巷はコシヒカリばかりになった、きちんとした和食の店が少なくなったと嘆いているのだが本当にそういう話なのか。
それで米の生産やら品種やら歴史やらあれこれ調べて確認してみた。
 
江戸時代の話から。
脚気のことを「江戸患い」なんて言ったように、少なくとも都市部では白米がしっかり食べられていたのだろう。しかし農村部ではそうではなかった。
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「江戸患い」、脚気は明治時代でもなお原因不明の問題だった。陸軍の軍医だった森鷗外も判断を誤った。
ただそれは逆に言えば「軍隊に入れば白いメシには困らないぞ」ということでもあっただろう。『ゴールデンカムイ』にもそんな一場面がある。


ササニシキ
言われてみれば確かにササニシキという米は本当に知らないうちにすっかり聞かなくなったし見かけなくなった。
品種ができたのが1963年(昭和38年)、作付けや知名度が全国的になったのが1985年ころだそうで今からせいぜい40年前ほどの話。
しかし1993年の冷害で大きな不作になったのがきっかけで作付けは大きく減少したとのこと。であれば、ササニシキコシヒカリと並び称されたのはたかだか10年程度の短い期間ということになる。(『おせん』第6巻は2003年の発行)
この記事を読む限り、ササニシキの生産が減っていったのは、味の好みの問題ではなくて専ら生産面の事情だ。
生産者がどの品種を作るかは食味の点だけでなく、収穫量の多さ、病虫害への強さ、暑さ寒さ風への強さなどから総合的に選ばれるはずだ。要は安定的な収量が見込める品種であることが第一だろう。
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コシヒカリ
新潟は今でこそ米どころとして知られているが、かつては新潟米の評判は低くかった。良くなったのはコシヒカリができてからだろうな。考えてみればコシヒカリ以前にあった品種名というものを一つも知らない。

www.pref.niigata.lg.jp
 
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稲はそもそも寒さが苦手な温暖な地方の植物なわけだから寒冷な地方は稲作には不向きだった。過去東北はひどい冷害に度々襲われたし、北海道で米が作られるようになったのは明治以降のことだし、味の良い米が広く作られるようになったのはごく近年のこと。

昔はまずは安定した収量を得ること、不作で借金して苦しむようなことがないこと、満足に食べられることが何より重要だったのであって、コシヒカリが~ササニシキが~などといったゼイタクを言えるようになったのはたかだかここ数十年、昭和も終わりに近くなっての話なのだ。
そしてそれが今後も安泰かと言えばむしろ心配の方が大きい。
 
かのマンガを読んでると、実り豊かな農村、恵み豊かな農村という感じの描写が多いと感じるが、日本人のほとんどが満足に食べられるようになったのは長い歴史で見ればごくこの頃のことでしかなく、また農村が、農民がそんなに豊かだったわけではない。とにかく食べていくことが容易ではなかったはずだ。作者は東北の生まれで、それこそ過去冷害の不作に度々苦しんできた土地なのだが。

お米の味の移り変わりに対して、きちんとした和食や食文化の伝統が失われたかのように言い出すのは「たはこと」に類することでしかない。
 
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「ぜひたく」とは書かないよ。昔の書き方でも「ぜいたく」だよ。