怒りと正しさ
相手の立場に立って考えてみることならさほど難しくはない。 まあそれで共感したり納得したりするとは限らないが、少なくとも「ああ、あれはこういうことだったのか」ということは後でわかったりはする。
多様性を尊重しよう、多様な価値があることを認めよう、っていうのはもう近年では疑問を抱くことも許されないような考え方だと思うが、その中に宗教まで含んだ場合はどうだろう。(数年後に読み返して考えると、多様性を認めない国や文化も少なくないという…
ブログを数年続けてきて読み返してみて、結局同じことを違ったポイントから繰り返し書いていたんだ、ああこれは自分が年来ずっと抱えていたテーマみたいなものだったんだとはじめて気づいて、一つカテゴリーを新設することにした。カテゴリーの名は「怒りと…
「そういうことかと」ひとたび納得がいくと人はもう怒ることができない。だとすれば人が怒りを抑えるために向かうべきは忍耐とか冷静さのようなものではなく、歪みのない認識、ということになるだろう。
「私たちが信じる教えは正しく尊い無上のものである」という信念が揺るぎない強固なものであれば、 当然のこと「奴らはなぜこんな素晴らしい教えに従わないのか」という疑問が生じる。 それに対しては、 ① 奴らは正しく尊い教えが理解できない愚かで憐れな連…
同じ宗教の宗派間の憎しみや争いが時として異教に対するよりも激しく容赦が無いのはなぜか。異教徒というのは初めから間違っている愚かな連中だが、奴らは正しい教えを歪めている許し難い連中だ、という事だろうか。 tyurico.hatenablog.com
「私たちの教えこそが本物、本当に正しいのは私たちの教えだけ」と本気で考えているのであれば、「奴らは間違っている、奴らはわかっていない」という他を否定する断定を避けることはできない。ならば当然のこと諍いは起こるし果ては殺し合いにもなる。 それ…
歳をとって衰えていけば自分の思うに任せぬ物事は増える一方であって、 また怒りというものが「こうあるべきだ」という自分の意に沿わない物事に生じるものだとすれば、 歳をとると怒りっぽくなるのは必定であるか。 tyurico.hatenablog.com
たとえばお笑いタレントのトークなんかで「いやこないだカクカクシカジカこんな腹立つことがありまして、」みたいに自分の腹が立った体験を話して、 最後に「それって信じられます? ありえへんでしょ!」って感じの話。まず関西弁の間違いがありましたらご…
それがどういう類のものであろうとも、怒りというものは結局のところ「我に理あり彼に非あり」と言っている。 おそらく全ての怒りの根底にあるものは「私は正しい あいつは間違っている」という断定だ。 www.google.com
ガザ地区で、家を失った人たちが避難している国連運営の学校が攻撃されて多数の死傷者が出た、とある。 以前はどっちもどっちくらいにしか考えてなかったが、事がこの通りならさすがにひどすぎる。 ホロコーストを経験してきた人たちの国だというのに。 「人…
人を怒っているとき、何を怒られているのか相手が今一つわかってないようだと一層怒りが強まるものだが、その怒りは元の怒りとはもう別物なわけで、それを上乗せしないようにした方がややこしくならないと思う。
少し前のこと、筆記具の持ち方を調べたことがある。 私は筆圧が強いようで書いていて手が痛くなるし何よりそもそも綺麗に書けないし、それで持ち方を自分なりに模索しているうちに調べるようにもなった。「ペンの持ち方」、「鉛筆の持ち方」 とかで検索して…
2ちゃんねる関連を覗いてたら、「好きなものを叩かれると怒る性格を直したい。」 という発言があった。 好きなものが否定されて、それでカッとなったりして激しく怒るのはまずいけど、しかし怒りを抱くのにもそれなりの理由が考えられるように思う。 否定が…
敵意を共有しない者は同じく敵である、という判断。 そもそもの憎しみや怒りの対象以外に、憎しみや怒りを共有しないことに向けられる憎しみや怒り。