膨らまない話。

Tyurico's blog

「ありえへん!」 人は「有るまじき事」に怒る

 
たとえばお笑いタレントのトークなんかで「いやこないだカクカクシカジカこんな腹立つことがありまして、」みたいに自分の腹が立った体験を話して、
最後に「それって信じられます? ありえへんでしょ!」って感じの話。

まず関西弁の間違いがありましたらご容赦ください。
だがこの「ありえへん!」、「有り得へん」って言い方は「怒り」というものを実に端的に言い表していると思う。


思うに人が何事かに怒るということは、それがつまらない私憤であろうが理のある義憤であろうが、要するに「そんなことはあってはならない」、「それは有るまじき事だ」と固く思っているからなのだ。

そして、その怒りが正しくても正しくなくても、「有るまじき事だ」と考えるのは結局のところその人の「こうあるべきだ」という認識と実際とのギャップなのだと言える。*1
要するに自分の意に沿わない実状、自分の意に反している現実に対して怒りが生れている。もっと身も蓋もなく言うなら、自分の思い通りでないことに怒りが生まれるのだ。
 

だから、「ああ、そういうことだったんだ。」とか「うん、そういうもんだよね。」とか納得がいって認識と実際とのギャップが消失してしまうと怒りは成立し得なくなる。
*2
それから、怒りへの共感を求める「ホンマ腹立ちましたわ、こんなんありえへんでしょ!?」というアピールに対しては、「いやそれ怒るようなことちゃうやろ、お前がありえんわ。」という冷ややかな反応もあり得るわけだ。
 
 
 



  
我に理あり彼に非あり - 膨らまない話。

お前は俺の怒りをわかってない、という怒りは既にもう別の怒り。 - 膨らまない話。
 
 

*1:「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな。」というマンガ『少女ファイト』の名セリフとか。

*2:しかし納得がいってしまうのが良いのか悪いのかというのもある。怒りや苦しみなどは全て自分の心構えから生れる歪みだ、というように問題を全て主観の側に還元してしまう教えというのもどうなんだか。