膨らまない話。

Tyurico's blog

怒りは現実を変える力、現実に抗う力でもある

 
怒りや苛立ちというのは、「こうあるべき」という認識と現実との食い違い、ギャップによって生じる。
だから怒りや苛立ちは現実を変革していくためのエネルギーであるとも言えて、現実をより良くしていくための力というポジティブな面もある。
そこで、つまらない怒りではなく、正しいというか、然るべき、必要な怒り、怒るべき大事なことに怒らねばならない。
思うに、やはり怒るべきことというのはある。
 
死の床にある高杉晋作が辞世の句を「おもしろきこともなき世をおもしろく」とまで詠んだがその後が続かず、傍らの老尼が「住みなすものは心なりけり」と詠んだところ晋作は笑って喜んだという話がある。嘘か真か不明であるが。

晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」というのには、現実に抗おうとする彼の怒りがあると考えることもできると思う。
そこを「心次第だ」と取り成したりやり過ごしたりするのは実に仏教的というもので、仏教は怒りを間違った認識に発する間違った反応としてそれを克服しようとする。
 
認識の歪みに原因があると見る傾向が仏教は強いように思う。であれば「事を起こす」ということには繋がらない。良くも悪くも。