膨らまない話。

Tyurico's blog

読書メモ 『砂糖の辞典』

p.9
 16世紀から19世紀末にかけて、中南米カリブ海諸島の糖業の繁栄をもたらした原動力は、プランテーション経営を支えた黒人奴隷たちでした。奴隷労働こそはプランテーションの生命線でした。
p.9
 経営者(プランター)たちは、奴隷買い付けに狂奔島しました。イギリス、フランスなどの奴隷商人たちは、ヨーロッパの商品をアフリカへ持ち込み、それと交換に奴隷を買い入れて中南米へ送り、その帰り荷に砂糖を積み込んでヨーロッパへ運んだのです。いわゆる悪名高い三角貿易と称されるものです。
 奴隷貿易は、1807,年にイギリスがカリブ海域で廃止しますが、米大陸全体で全廃されるのは19世紀末まで待たなくてはなりません。
 ヨーロッパの人々に、この上ない豊かで潤いのある食生活をもたらした砂糖が、残酷で汚辱に満ちた非人道の奴隷制の上に成り立っていたことを忘れるわけにはいかないのです。

p.20
 砂糖の用途が、薬種や神仏の供饌品から、食品の甘味料として質的な飛躍を遂げることを証明する歴史的文献は、14世紀中ころ(室町初期)『新札往来』、『庭訓往来』などのいわゆる往来ものによって明らかです。庶民教育の教科書である往来ものに、初めて載るのは砂糖饅頭であり、砂糖羊羹でした。これこそ、わが国において食品の名に砂糖が冠された最初のものです。

p.21
砂糖輸入の激増と、それに伴う金、銀、銅などの流出に関する警告と、砂糖国産化の意見は、新井白石等の幕府の要職だけでなく、農政学者の宮崎安貞も『農業全書』(1697年成立)で指摘するなど、学者の間でも高まっていました。
 そこで、幕府は1715(正徳5)年に長崎新令による輸入制限を断行するとともに、徳川吉宗は殖産興業政策の一貫として砂糖の国産化方針を打ち出し、幕領への甘蔗の作付けを奨励します。

p.23
 1858(安政5)年の5カ国通商条約は、ようやく軌道にのり始めた諸藩の和糖業の死命を制するものでした。関税率は当初従価2割と定められましたが、その8年後(慶應2年)には改税約書で従価率5分に見合う従量税にまで引き下げを余儀なくされました。
 
p.42
 砂糖は、政策の前提となる財政収入に貢献してきました。砂糖消費税は、1901年に開始され、1989年3月まで継続しました。1946年度から1988年度までに納付した砂糖消費税の累計額は、1兆5千億円にのぼりました。特に、1954年から数年間の砂糖消費税額は、国税徴収税額の5%以上を占めていました。