以前、あるブログで名文として紹介されていた池内紀さんの文章。
池内さんは名文家だとよく言われる。
勤めが終わったあと、夜おそくまで小説を書いていた。おりおり小さな雑誌からたのまれた。プラハのドイツ語新聞にのせたこともある。薄っぺらな本にまとめられ、ほんの少しだが書評が出た。認めてくれた人もいたが、おおかたは無視された。それでもへこたれなかった。独身を通したのは、家庭をもつと小説が書けなくなるのを少なからず恐れたせいである。父親のもとで居候をきめこんだのは、雑事は一切両親にまかせて、心おきなく小説に打ちこみたかったせいらしい。役所から帰るとソファーでひと眠りしたあと、がばと起きて執筆にとりかかる。
ひところ王城の片隅にある小部屋を仕事部屋にしていた。もともと妹が借りていたところへ兄貴が押しかけてきた。プラハ城はモルダウ川を渡った先の高台にある。母の手づくりの軽食をもって、夜の石段をのぼっていく。そして夜っぴいて小説を書く。カフ力の代表作のかなりは、その小部屋で生まれた。
母親は可愛い息子にいわれるままに、健康を気づかいながら弁当をつくった。しっかり者の妹は、兄が書きたがっている小説の意味を、おぼろげながらも予感していたのかもしれない。王城への長い石段を、小さな夜食の包みをぶら下げて、カフカが何を考えながら歩いていたのか、正確なところはわからないが、今世紀がつくり出した文学的情景のうち、もっとも孤独で、もっとも美しい一つといえるのではなかろうか。
読んでいて最も引っ掛かったのは「がばと起きて」という表現だ。
「小さな夜食の包みをぶら下げて」とか、相変わらずさも見てきたかのような具体的な書き方をする著者であるが、そこは問題としない。
ここはある日ある時の場面の描写ではなくて、彼が長年続けた日課、習慣についての説明であるのだから「がばと起きて」の「がばと」は不要なもの、不正確不適切な、むしろあるべきではない冗語だと言わざるを得ない。
ある一日の様子を描いたのであれば、「かばと起きて」という具体的な描写はわかる。
だが彼はまさか毎晩いつも同じ様に「かばと」起きていたわけではあるまい。
「がばと」、この言葉が何のために入れられたかと考えると、単に節回し、文章の調子を整えるためだとしか考えられない。ただ簡潔に「目を覚ますと」とか「起き上がって」と書くことが困難であるのか。
私は池内さんの書いた物も訳した物もそう大して読んでいないし結局手もとには一冊も残っていない。そんな人間が生意気なことを書くのはどうかとも思うが、池内さんの文章を読んでいて「いいなあ」と思ったことが結局ないので、いい読者でないのは仕方がない。一冊も残っていないというのはつまりそういうことだ。
また愛読するファンの人たちに悪い気もするが、別に批判したいからではなくて、なぜこの文章が良くないのかを(好みや趣味の問題で済ませず)自分にとって明らかにしたいからなのでそこは悪く思わないでいただきたい。
この言葉は本当に必要か、この表現でいいのか、他の言い表し方はないか、言葉に嘘や虚飾はないか、言い回しの心地よさや常套句の安易さに流されてはいないか。
言葉で表現するということについての意識がこのわずか三文字に現れているように思う。
池内さんは別のところで次のようなことも言っているので、些細な点への無用な言い掛かりだとも言えまい。いや、むしろ一事が万事というやつではないか。
彼はこう述べています。『ペンの森を見通すために、私の方法によれば一枝で足りる』と。ひとつの動詞の使い方がひとりの人間を代表し、ひとつの形容詞が恐るべき犯罪の動かぬ証拠になり、なにげない新聞の見出しが、一時代の罪業を要約していることを、彼は誰よりも見抜いていたのです。
追悼・池内紀:炬火は燃えつづけ、カール・クラウスは吼えつづける | WIRED.jp
しかし、この先生はやさしいだけではないだろう。書いていると、だんだん嘘つきになることを、先にそっと囁いたように、言葉の悪もよくこころえている、だからこそ不誠実で、ウソの言葉には手きびしい。調子のいい常套句、わざとらしい言い廻し、美しげなフレーズ、そういったものにひそんでいる偽り、自己顕示、自己陶酔。
『名文を書かない文章講座』 (朝日文庫) 解説
私は池内さんの文章を考えることによって、かつてのように文学というものを無闇やたらと有難がることがなくなった。おかげ様とも言えるか。
tyurico.hatenablog.com