膨らまない話。

Tyurico's blog

池内紀 『恩地孝四郎 一つの伝記』の上滑りな文章

 
池内紀さんがまとめた恩地孝四郎の評伝が出版されていたことを知り、まず地元の図書館にリクエストして入れてもらって読んでみた。なにせ値段は6,000円を超える。

恩地孝四郎の名を知る人も少ないだろう。大正、昭和前期の版画家・洋画家であり本の装丁もするし詩も書き写真もやるという幅の広さで何とも収まりきらず片付けにくい人なのだが、またそういう辺りにこの人の本領があるのだとも言える。
もう10年以上昔のこと池内さんが筑摩書房のPR誌で連載していたものが元で、当時そこに引用されていた恩地の詩を読んでいっぺんに好きになった。本にまとまらないかと期待して長くもう半ば忘れたころにようやく成った。
 
さて大きな期待をもって読み始めたのだが、これが意外なことに全く引き込まれない。
この出版に際して大幅に改めたそうだが、かつて興味深く読んだ連載当時の文章もこんなものだったろうかと訝しく思った。

まず気になったのが、「ではないだろうか。」、「かもしれない。」、「はずだ。」、「だろう。」、「ようだ。」、といった事情の憶測や心情の忖度が多く見られる文章で、何かそう思わせるだけの資料なり証言なりを引いた上で書くということをしていないので違和感ばかりが募った。この本には注も無い。仮に表には出してないだけでちゃんと裏付けが揃っているのだとしても、こういう書き方を含蓄があるとは言わない。

例えば、谷中安規という版画家が戦後焼け野原の東京に一人で小屋を建てて、という件りで次の文章がある。描写の調子はすこぶる良い。

小屋といっても丸太を寄せかけただけのひどいものだったようだ。ろくに着るものもない。焼けあとでひろってきた綿などをからだに巻きつけ、膝小僧をかかえていた。

 
だが空襲で一面焼け野原の東京という状況を考えれば「丸太」などという立派な材木を集めることができたらむしろ大したもので、せいぜい焼け残りの廃材がいいところではないかという疑念が浮かぶ。筆者は「丸太」という言葉で一体どういった物を思い描いていたのだろうか。「丸太を寄せかけただけの小屋」などという、それこそ粗雑な言葉を寄せ集めただけの表現からリアリティのある具体的な光景は少しも見えてこない。

ついでに言えば、空襲の焼け跡で拾ってきた「綿」というのはどのような物であるのか想像するのも難しいのだが、それともこれは誤植だろうか。「めん」と読むのか「わた」と読むのか。木綿の布切れのことを言ったつもりだったのか。
また谷中が 「膝小僧をかかえていた」という、やけに具体的な描写は何か裏打ちがあるのだろうか。単に安易な言回しに流れているだけではないのか。更に言えば、それも普通は「膝をかかえて」と言うのであって、「膝小僧をかかえて」などと言うのは無駄なひねりの入れ過ぎというものだ。侘しさ寂しさでも入れたかったのか。
別して「小僧」の用はない。
 
描写の調子が良いとつい書いたが、描写が対象に即さなければならないとすれば描写の調子が良いというのは本来あり得ないことで、こういうものは描写ではない。
調子が良いのは谷中の困窮ぶりを強調して書きたいばかりに筆が対象から離れて駆け出してしまっているということなのだ。見てきたような口ぶりで。
この著作はいま一つ世に知られぬ人物を追った池内さんの評伝ものの三作目ということで、そんな辺りからこれを読む前、鷗外の史伝三作を思い浮かべていたのだが、それは全くの見当違いだった。


また削除しても何ら障りのないような無駄な表現が多いとも感じる。*1
一例として、その年に上海事変があった、満州国が建国されたと時代状況を説明するだけなら良いのだが、「ひどい時代だった。」という言葉でそこを書き始めているのはどういうものか。
それが時代を背景として一人の作家を描き出すという程の必然もないので、これは池内さんの単なる感想というか気分というかが無作法にはみ出しているとしか感じられなかった。1932年、池内さんが生れる何年も前の話だ。
読み始めて間もないうちふと山本夏彦の書いた評伝ものの語り口に似ているかと思ったのだが、山本夏彦なら自分が知らないのに「ひどい時代だった。」などと軽率に書き入れることはない。またある時代を懐かしむことがあったとしても「いい時代だった。」と書くこともない。山本夏彦の文章はもっと締まっている。
 
労作であることに異論はない。言葉尻に引っ掛かっているきらいがあるとも思う。
とはいえ、私が恩地孝四郎のことを読みたいと思ったのは何よりその詩文その言葉に惹かれたからであり、あらためて引用されている恩地の詩を読んでみるとそれこそ同時代の名の通った詩人よりもいいんじゃないかと思った程だ。それなのに彼を描く池内さんの文章には魅力を感じるどころか逆に邪魔ばかり感じる始末で、まるで見込み違いの否定的な感想を書くことになってしまった。あるいは期待が大きくなり過ぎたということなのだろうか。


目にとまる書評を見れば「愛書家」とか「読み巧者」とか称されるような人たちから高評を得ている著作であるが、このような調子ばかりで上滑りな文章を褒めることはできない。まして名文だなんてとても言えない。*2
この本は買うまでではないと判断して、それより恩地の詩集はないかと探すことにした。
池内紀名文家池内紀文章
 
tyurico.hatenablog.com

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*1:村田喜代子さんの『名文を書かない文章講座』の文庫版解説で池内さんは次のように書いている。 「しかし、この先生はやさしいだけではないだろう。書いていると、だんだん嘘つきになることを、先にそっと囁いたように、言葉の悪もよくこころえている、だからこそ不誠実で、ウソの言葉には手きびしい。調子のいい常套句、わざとらしい言い廻し、美しげなフレーズ、そういったものにひそんでいる偽り、自己顕示、自己陶酔。―中略― 優れた小説家村田喜代子は、言葉の恐ろしさを誰よりもよく知っており、だからこそ、気合いするどく述べている。《 散文とは誠実に言葉数を費やして、自分の前にある事象に迫るものだ 》」。  だが「気合いするどく」などという表現がそれこそ「調子のいい常套句」、「ウソの言葉」、「わざとらしい言い廻し」そのものではないか。「誰よりも」というのも根拠のない大袈裟な断定で、文章の調子を整えるためだけに入れられた無意味な常套句でしかない。

*2:池内さんが温泉やら居酒屋やらの文章を書く軽妙なエッセイストであるというなら、これは言い過ぎかもしれない。しかし文学研究者であるのみならず、自らも小説や詩集まで出しているような人とあれば、こういう上滑りな文章を書いていては駄目だろう。こういうものは名文ではない。名調子と言った方がいい。この本を読んで学識と詩は根本的には関係が無いのだと思うようになった。