膨らまない話。

Tyurico's blog

「北斗の拳」連載開始40周年ということでふと思ったんですが

 
たぶん40年前の1983年って地球温暖化って知らなかった。聞いたことがなかった。
北斗の拳」も「199X年、世界は核の炎に包まれた!!」だった。

その頃の記憶だと、フロンガスオゾン層を破壊するって本を図書館で借りて読んだのは覚えているんだけど。
いつ頃からメディアでよく言われるようになったんでしょうか。
 
環境省のページがあった。
www.env.go.jp

(2) 世界共通の議論となった地球温暖化
 国際地球観測年であった1957年(昭和32年)、大気中のCO2濃度の定期的な測定が世界で初めてハワイ・マウナロア観測所で開始された。
 このようなモニタリング結果の蓄積等を背景として、1970年代の終わり頃から地球温暖化に関する科学者の報告が活発に行われはじめた。1985年(昭和60年)10月には、温暖化についての初めての科学者の国際会議であると言えるフィラハ(オーストリア)会議(UNEP主催)が開催され、「21世紀前半には、地球の平均気温の上昇が人類未曾有の規模で起こり得る」との声明を出している。

 1988年(昭和63年)、アメリカの穀倉地帯は猛暑と干ばつに襲われた。同年6月23日、米国上院公聴会において米国航空宇宙局のハンセン博士が、その原因が地球温暖化である可能性があることを証言し、温暖化が社会的に大きな注目を浴びるようになった。
 その数日後の6月27日〜30日に開催されたカナダ・トロント会議(大気変動に関する国際会議、G7トロントサミットの直後にカナダ政府が主催)には、46か国と国際機関から政治家、科学者等が集まり、温暖化が国際的に重要な政策課題として、初めて議論された。この会議では、「とりあえずの目標としてCO2排出量を2005年(平成17年)に1988年レベルの2割削減すること」が提案された(20%削減宣言)。このことが大きな契機となって、各国内や国際的な政治の場でも積極的に取り上げられるようになり、後に述べる地球サミットでの「気候変動枠組条約」の締結につながるのである。

 
wired.jp
不都合な真実』が2006年か。
 
今から30年前を振り返ろうと調べてみると、1993年は『ジュラシック・パーク』の第一作が公開された年で、『幽遊白書』がまだ連載中だった。そういった当時の記憶、感覚を思い出してみても30年前でもまだ地球温暖化の危機意識って少なくとも自分にはまるでなかったな。たぶん大方の人はなかったと思う。