膨らまない話。

Tyurico's blog

『ハイジが生まれた日 』を読んだ

 
アルプスの少女ハイジ』だからやっぱり宮崎駿さんと高畑勲さんの話なんだろうなと思っていたら話はもっと前から始まって、プロデューサーの高橋茂人という人についての記述がかなり多い。
「ハイジ」と言うと海外旅行が容易ではなかったあの時代に作品のクオリティ追及のためにスイスにまでロケハンに行った話がよく語られるが、その現地取材も、またそもそもハイジをアニメでという企画も実は高橋さんの発案で、この人なくしては「ハイジ」はなかったとも言える。
 
高橋さんは最初テレビCMのアニメの仕事をやってて、それから「瑞鷹エンタープライズ」という会社を興してアニメ番組の企画の仕事を始める。「ムーミン」とか「小さなバイキング ビッケ」とか「山ねずみロッキーチャック」とか、高橋さんが関わった仕事だ。
やがて「ズイヨー映像」を興して製作の方も手掛けるようになる。
 
意外なことに高橋さんは慶應出のスポーツマンでその上もとはケンカ好きのバンカラ学生で、芸術文化系の線の細い柔弱な人間ではないのだが、察するに意外と生来ロマンチストで、「ハイジ」への思い入れも並々でなく「ハイジ」は海外でも通用するものを、と最初から言ってたという。ただ現場には口を出さない、現場は任せた、というさっぱりした親分肌は悪く言うと放任、現場の過酷な状況を知らないということでもあったようで、不満が蓄積して終には現場の突如の離反という結末になった、というように書かれている。 まあたしかに「現場に口を出さない」のはいいが、「現場に顔を出さない」というのは齟齬や離反の種になるだろう。
 
かなりとんでもない話なのだが、「ハイジ」の制作中、放送中に現場の多くの人間が一度に退職して別会社の「日本アニメーション」を作って、以降「ハイジ」の制作はそこでやるようになったんだという。高橋さんが海外出張から戻ると一切合切、設備まで向こうに持っていかれていたというのだから尋常な話ではない。そして当然のこと長く権利の帰属でもめた。
ただこの一件の詳細がなんとも不明瞭で、本を読めば「ハイジ」放送中の出来事としか読めないのだが何か差し障る事情があるのか妙にぼかした書き方で何年何月とも書いてないし、ウィキペディアを読むと時系列は放送終了後の話になっている。また宮崎さんや高畑さんがこの時どう動いたのかとかもよくわからない。この辺の正確なところを知りたいのだが。

もちろん宮崎さん高畑さん、音楽の渡辺岳夫さん、それから他のスタッフたちの制作に関する話もたいへん面白かったが、この作品の制作がすごいという話は前から聞いていたことなので、私としてはプロデューサーの高橋さんについての部分が一番新鮮で興味深かった。

著者のちばさんがこの本の執筆に至ったのは高橋さんへのインタビューが実現したからだったということで、そして実はこの本の主役は高橋さんだと言えなくもない。思うに高橋さんという人は魅力的な人物だったのだろう。
読む前、ちばさんはかつて現場にいた人かと予想してたら全く違って、簡単に言うと熱心なハイジファンの人って感じ。

すぐ読み終わるけど結構濃くてなかなか読み応えのある本でした。


これはこの本とは別の高橋氏へのインタビュー。これも面白い。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/kiyo/pdf-data/no26/ono.pdf
 

原作小説。翻訳は矢川澄子さんだ。