膨らまない話。

Tyurico's blog

文章の手直し、推敲を何度でもしてしまう。

 
何日か前の記事のタイトル、最初は、
「言論、報道の自由のない国が不都合なことを認めるわけないだろうに」だった。
「なのにお前たちにはそれがわからないのか」と続く感じで。
 
次にもっと強い調子にしたいと思って、
「言論、報道の自由のない国が不都合なことを認めるわけないだろうが」に変えた。
でもそうすると今度はその後に「だがそれでも~」とか続く感じも出てきてしまって、これは意図するところではない。ちょっとずれる。

それで結局、
「言論、報道の自由のない国が不都合なことを認めるわけないだろ」に落ち着いた。
 
この手直しで気付いたのは、「だろう」は推定なのに対して「だろ」は断定や念押しであって、もう既に意味というかニュアンスが変化していることだった。単に口語的かどうかだけの違いではない。
これは実に微妙というもので、でもこの微妙な違いを感じてなければ例えば英語への翻訳もそれこそ微妙なものになってしまうだろう。

文章の手直しや推敲を行うと普段気付かないでいる言葉の意味やニュアンスが現れてくる。
「言論、報道の自由」というところも、報道は広い意味での言論に含まれるとも考えられるから「言論の自由」だけでもいいのかなと今でも迷っている。
 
tyurico.hatenablog.com