膨らまない話。

Tyurico's blog

個人的メモ ピカソと「ゲルニカ」の時系列

1881年10月
ピカソ生誕
 
1907年「アビニヨンの娘たち」。ピカソが26歳くらいか。
1907年か、こんなに昔だったか。
 
1936年1月
スペイン内戦
 
1937年1月
万博に展示する作品をスペインの共和国政府より依頼される。「ゲルニカ」はピカソ55歳の時の作品ということか。もっと若いかと思っていた。
 
1937年2月8日
ピカソの故郷マラガでフランコ軍による民間人虐殺が起きる。ゲルニカの爆撃の2か月前のこと。
この虐殺ををピカソが知っていたかどうかだが、知っていたと書いているものもあるが明確な根拠などは不明。どっちだ。知らなかったのも変だと思うが知ってて無反応なのはもっと変だ。
 
1937年2月17日
New York Times によってマラガの事件が報道がされる。
 
1937年4月26日
バスク地方ゲルニカが爆撃される。
 
ゲルニカ爆撃を知った詩人の Juan Larrea がすぐにピカソの家を訪れ、ゲルニカの爆撃を題材にして描くように訴える。
Wikipediaの記述に拠るものだが、居ても立ってもいられなくて描いたというより、まずは他人から「描くべきだ」と言われたという経緯であったのか。
 
1937年5月1日
ピカソはそれまでの構想を捨て、ゲルニカ爆撃を題材として製作を始める。
 
1951年1月
朝鮮の虐殺」を完成させる。
朝鮮戦争で起きた虐殺については作品にしてるんだよな。
Massacre in Korea is the third in a series of anti-war paintings created by Picasso. It was preceded by the monumental Guernica, painted in 1937, and The Charnel House, painted from 1944 to 1945.
 
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